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NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」の文字起こしです

2022/5/15 歎異抄にであう シリーズ 無宗教からの扉(2) 「念仏とは何か」

阿満利麿:宗教学者 明治学院大学名誉教授
ききて(ディレクター):鎌倉英也、池座雅之 

 

ナレーター(以下「ナ」という):「歎異抄」は700年以上前の鎌倉時代に書かれた仏教の古典です。
 そこに貫かれているのは、阿弥陀仏が仏になる前人々を救うために立てたもともとの願い「本願」に基づく、念仏を称えるだけで全ての人が救われるという「本願念仏」の思想。法然によって始められたその教えは、親鸞らによって受け継がれました。
 「歎異抄」はその親鸞の言葉を、門弟となった唯円という人物が正しく伝えようと書き留めた書です。
 宗教学者、阿満利麿さんは「歎異抄」の核心ともいえる「念仏を称える」という教えが、なぜ、そのようにして成立したのか研究してきました。その教えには私達の日々の生活では推し量ることのできない常識を乗り越えた大きな物語の裏付があります。

阿満(以下「阿」という):仏教は論理というものを極めて大事にしている宗教ですね。一つ一つ納得して次へ進むという道筋をたどるのが仏教であって、「わけの分からんことを信じ込め」ということは仏教では一切ありません。
 「阿弥陀仏の本願」が何だか分からなくてもいいと、阿弥陀仏というありがたい存在があるんだからそれを頭から信じ込めば自分は救われるんだと、こういうふうな思い込みに走ることが多い、決してそんなことはない。そんなことを言うとしたらそれは仏教ではない。

ナ:「阿弥陀仏の本願」とは何か、念仏を称えるという教えはどのような論理から生み出されてきたのか、シリーズ「歎異抄にであう 無宗教からの扉」、第2回の今日は「念仏とはなにか」探ってゆきます。

阿:今日はこの番組の第2回目の「念仏とはなにか」というテーマですけれども、世間ではお念仏といってもお葬式の時に死者に向かって称えたり、あるいは墓参をした時に念仏を称えるっていうふうに何か死者に手向ける言葉のようなイメージがありますけれども、この「歎異抄」で取り扱う念仏は阿弥陀仏の本願に基づく念仏である。自分で答えが出せないような問題を前に苦しんでいる人間、自分の考えが中心で自分の考えから離れた世界についてはそれを信じることはできないというそういう心の持ち主に対して、その阿弥陀仏の誓いというのは大きな救いの手を差し伸べているんだと。
 我々日頃そういう苦しみとか不安があってもですね、適当にあしらって生きているわけです。しかし、あしらいきれなかった時にですね初めて苦しみや不安というものと向き合うわけでありますけれども、苦しみとか不安の原因をたずねても我々の手では究明しきれないと。
 例えば、「私はどこから生まれてきてどこへ死んでいくんですか」とそういう質問を仮に持ったとしたらそれに対する答えはないわけですね。こういう人生の苦しみとか不安の多くっていうのは、その原因を明らかにする智慧がないというところから生まれていると。
 ですから仏教というのは、そうした人間の根本的な不安とか苦しみを解決するための智慧を与える宗教なんですね。特にその智慧の中でもですね、仏教が強調するのは因果の関係なんですね。原因と結果、因果の関係ですね。特に仏教がおもしろいと思うのは、直接的な原因と思われることとその直接的な原因を動かす間接的な原因ということを分けて考えているということですね。
 直接的な原因は「因」という原因の「因」ですね。それに対して間接的な原因を「縁」と言うと。つまり「因縁」という言葉ですね。原因の中にははっきりと分かる原因もあるけれども原因を動かしている間接的な原因というのはたくさんあると。仏教はそういう間接的な原因、つまり「縁」というものに注目しているんですね。
 何か自分に不幸が生じたりあるいは不安が生じた時にその原因をたずねてもですね、せいぜい1つか2つ思い当たるだけで更にその奥、ましてやそういう原因を動かしてる間接的な原因っていうようなことになるとですね、ほとんどお手上げ状態になってしまうと。
 ですから「歎異抄」が問題にしているのはそういう「因」・「縁」・「果」の連鎖を知る、この智慧というものから遠い人間の苦しみとか、その苦しみからどういうふうにしたら脱却できるのかといったことを背景に置いてる古典だと。生きてるうえでのよりどころになるような仏教の智慧というのは何かということを教えるための1つの手がかりを与えている書物だというふうに言っていいと思うんですね。

ナ:人間を苦しみの連鎖から救う阿弥陀仏の「本願念仏」とは何か。「歎異抄」の最初の条文、第一条を唯円は次のような親鸞の言葉から書き始めています。


阿弥陀仏の誓いによって浄土に生まれることができると信じて阿弥陀仏の指示どおりにその名を称えようと思い立つ、その決断の時、阿弥陀仏はただちに感応しその人を迎えとって下さり、全ての人々を仏とする働きに参加させておいでなのです。』
阿弥陀仏の本願は老人か若者か善人であるか悪人であるかをお選びになることはありません。ただ信心を要とするとよくよく知らねばならないのです』
『そのわけは深く根を張った罪悪と激しい煩悩を抱えた衆生を助けるための本願だからです』

阿:「歎異抄」の第一条、ここに「誓願不思議」という言葉があります。「誓願」というのは阿弥陀仏の名前を称するものはどんな人間であっても必ずわが浄土に迎えとって仏とするという、そういう誓いの文章であります。
 その「誓願」に不思議という言葉がくっついている。わざわざ「不思議」という言葉がついているというのは、これは常識では考えられないということを確認しているわけですね、我々の常識を超えていると。
 この念仏を称えようと思い立ったその瞬間に既に「摂取不捨」にあるんだと。摂取の「摂」というのは1つの枠を設定するという意味ですね。そういう、つまり具体的に言うと、阿弥陀が設定している枠、その設定している枠の中に、つまり浄土の枠の中に取り込んで、「不捨」捨てないと。
 そして次の「あづけしめたまふ」ですね。私はこの「あづけ」という言葉にですね、ちょっとこだわっておりまして、「あづく」という言葉は参加させるという意味があるんですね。ですから「あづけしめたまふ」ということは主語は阿弥陀仏です。阿弥陀仏が念仏をする我々をその阿弥陀仏の事業に参加おさせになるんだと、こういう積極的な意味合いがこの文章の中にあると思うんですね。
 そしてその後はですね「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれずただ信心を要とすとしるべし」と。ここで面白いのは、ただ念仏を要とすとしるべしと言わずにですね、「信心」をとこう述べているところがですね少し面白いと思いますね。
 「歎異抄」の念仏というのは、そういう阿弥陀仏の本願に裏付けられているという、それを確認するということはとても大事なことで、この道理に納得しなかったらですね念仏というのはどんどん呪術化していくんですね。何か困ったことがあった時にちょっとお念仏してその急場をしのぎたいと思って念仏をぐちゃぐちゃっと称えるというのはそれは呪術であって自分が自分の苦境を何とか脱するための手段になっている言葉ですね。単に個人的な欲望の実現を図る手段になっているだけだと。
 この第一条だけでもですね「信じる」という言葉が3回出てくるんです。ですから信ずるという言葉を非常に大事にしている。この信じるという言葉はですね、世間では今の私共は大体あまりいい意味では使わない。この諺を使って言えば「鰯の頭も信心から」という言葉がありますけれども、鰯の頭みたいな訳の分からんものでも信ずればありがたくなるというわけですね。
 そういうことじゃないんです。そういうことではなくて「本願念仏」における信心という言葉はいくつかの契機があってですね、阿弥陀仏の本願というものを正面に立ててそれを決断して選ぶという働きがあって初めて「信心」ということが成り立つ。念仏を称えようと思い立ったその瞬間という、こういうぎりぎりと我々の心の動きを追い詰めているという、こういう表現の仕方ですね。ここがその「歎異抄」の大きな特徴。
 そこで大事なことは思い立つという称えようと思い立つというその決断が不可欠である。この場合の信心はいろいろな誤解がありますから私は「納得する」という言葉に置き換えたらいいと思っているんです。決断して選んでその時分で心の底から納得すると、それが信心という意味だろうと思いますね。この納得するということはず~っとこれから「歎異抄」を読んでいく場合に大事なことなんです。

ナ:阿弥陀仏はいつどのようにして生まれてきたのか。その原点は仏教の開祖ゴータマ・シッダールタがこの世を去っておよそ5~6世紀後のこと、インドで成立し中国に伝わった経典に遡ります。
 それによればこの世は様々な穢れと悪にまみれた「五濁悪世」、戦争や飢饉が頻発し邪悪な思想もはびこり人々が欲望のまま生きる煩悩に支配された世界。そのような苦しみの真っただ中に登場してくるのが阿弥陀仏です。
 阿弥陀仏の来歴を記した「無量寿経」によれば、阿弥陀仏はもとは「法蔵」という名の人間でした。彼はこの世の苦しみを背負う全ての人を救おうと48の悲願を立てます。そして「五劫」という長い年月をかけて、悲願が実現するまでは仏にならないと誓い苦行を重ねました。
 仏教で言う「一劫」とは7キロ四方の巨大な立方体を小さなけしの実で埋め尽くし、100年に一度だけ僅か1粒ずつ取り出して空になるまでの時間、一説には43億2000万年とも言われます。
 法蔵はその5倍にもなる時間をかけておよそ実現不可能な、しかし人間だれしもが心の奥底に持つ悲願を全て引き受けて阿弥陀仏となったのです。

阿:この「阿弥陀仏の物語」の大きな特徴はですね、我々は「五濁悪世」の真っただ中に生きているんだということを強調するんですね。五濁悪世という時代を背景にして阿弥陀仏が生まれてくると。
 「五濁」というのはですね具体的に言えば、
---(録画データが破損しているため1つ目から4つ目は精選版 日本国語大辞典より記載)----
五濁の1つ目:劫濁(天災、地変の起こること)
   2つ目:見濁(衆生が悪い見解を起こすこと)
   3つ目:煩悩濁(衆生の煩悩が盛んなこと)
   4つ目:衆生濁(衆生の果報が衰えること)
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それから5つ目に人間の寿命が短くなる。
 だから阿弥陀仏が五濁悪世を説明する時に単に経典の中の話として受け止めるんじゃなくて、今の話が説かれているんだと思わざるをえない。
 つまり「阿弥陀仏の物語」の本質は、そういう五濁の世界を生き抜く智慧というものを教えるというところにこの「阿弥陀仏の物語」の最も大事な点があるわけですね。
 「阿弥陀仏の物語」で私興味を持つのはですね、阿弥陀仏の前身は法蔵という名前の人間であったという設定になっていることですね。面白いことにその「無量寿経」はですね、人間であったというけどどういう人間であったかという説明は1つを除いて全く何もないんですね。
 どういう説明をしてるかというと「法蔵は元国王であった」と書かれているだけなんですね。それは一体何を物語っているか、国王だったら何の経済的にも不安も不満もない暮らしでしょう。なぜ人はそういう最高の幸福な暮らしを捨ててまでも求めるものがなぜあるのかというそういう問題ですね。
 それは恐らく幸福という価値よりも真実の生き方が大事だというそういうメッセージがそこに込められているんだと思いますね。私は人間にとって真実とは何かということを考えるうえでですね、「悲願」というものはとても大事だというふうに思うんですね。つまり悲しい願いというのはその願いが実現できないから悲しいとこういうわけでありますけれども、その「悲願」というのはどういうことか。
 例えばすぐに思い起こすようなことをちょっと申し上げますと、例えば私の命がこうして日々維持されてるためにはどれだけの命をですね犠牲にしているか、自分は確かに他のものの命を奪って生きている、しかし、できたらお互いに命を全うできるような在り方があってほしいという願いがどこかにあることに気が付くと思うんですね。それが「悲願」の1つの姿ですね。
 あるいは、もうちょっと身近な例で言うと、我々肉親の間で色んな憎しみが生じてきたりですね、お互いに無視し合ったりしてぎくしゃくするっていうことは少なくないと思います。この短い人生でですね、どうして互いに仲良く暮らすことができないのか、それもなかなか実現しないから「悲願」の1つだと言っていいと思いますね。
 そういう悲しみの中で、なおかつ人間として生きていくという時の苦しみですね。もうどれだけ今までたくさんの人間がいろいろいろいろ苦労してきても一向に戦争はなくならないと、人間の心の中に起こってくる他者よりも優越したいとか、そのためにはこの暴力を使っても辞さないとかいう気持ちが完全になくなるということはありえないと。
 それを前提にしたうえで、「阿弥陀仏の物語」というのは単なるおとぎ話ではなくて、その苦しみに耐えながら、しかもその戦争という悪に立ち向かうことができるようなこの最終的な拠り所として阿弥陀仏のこの「本願念仏」というのが提唱されてきている。そういう悲願を積み重ねてみると、何か真実というものの具体的な姿が見えてくると思うんですね。
 私はかつて旅人における北極星みたいなもんだというふうに例えて考えることがあったんですけども、旅人にとって北極星はですね、自分は行けないですよ。行けないけれどもその北極星があるおかげで自分の位置がわかるわけですね。
 同じように悲願というものがあることによって気付いてくるような一面が生まれてくる。何かの折に自分の中にはこういう悲願があるんだというふうに思うと適当に生きていっていいという気持ちとはちょっと離れるようになる。
 ですから「阿弥陀仏の物語」の中で大事なことは、法蔵の目から見るとですね、人は一人で生きているのではないと。人は巨大な、いわば網の中の1つの結び目であってですね、互いにいろいろな命の関わりの中で今の自分というのがあるんだと。
 私共一人一人だけではなくて、あらゆる存在がお互いに侵し合うことなく生きていくことができるであろう世界をつくるというそのことを実現するためにものすごい時間をかけているわけですね。そのためにこれは大きな物語ですから、我々が驚くような中々ついていけないような話が展開するわけです。
 それは我々の日常生活を紡いでくれている様々な小さな物語と根本的に違うのは、今申したように時間軸と空間軸がもうめちゃくちゃに巨大なわけですね。そういう巨大な時間軸、空間軸の中に人間を置いてみると、我々が普段考えているような人間の問題も違った色合いを帯びて見えてくると。神話的時間と神話的空間の中に人間を置いて人間の生き方とか人間の価値というものを論ずるというそういう仕組みになっている物語ですね。
 
鎌倉(以下「鎌」という):その大きな物語っていうことのご説明の中にですね、今我々コロナの時代もありますし、世界ではいろんな厳しい問題もありますし、個人の問題としても非常に大きな悩みとか苦しみを抱えている中で、そういった大きな物語っていうのが果たしてこれは何なんだと、何で大きな物語なんだという反応っていうのがあるかと思うんですけれども。
 「五劫」とかですね、我々の想像を絶するいわゆる非常識な世界っていうのが展開されるわけですけれども、その中には1つ宗教っていう問題が抱えている中にある種の神秘体験であったりですね、あるいは紙や仏と自分がつながったというようなそういったものが大きな物語を裏支えするような発想っていうのがあると思うんですが、、、

阿:宗教は神秘的体験だと、、、をすることだというふうに思っておられる方も結構いらっしゃると思うんですね。
 しかし、法蔵という人間がなぜ仏になろうとしたのか、それは人間の悲惨とか愚かさとかいうことを何とかしたいというそういう動機があるわけですね。その動機が分かるためには神秘的体験は必要ないですね。
 法蔵がそういうとてつもない時間をかけて修行して阿弥陀仏になったということは何を言ってるかというと、我々の修行ではこの問題は解決しないということを教えてるわけですね。そのことに納得するために途方もない例えを出して教えてるわけです。だからその途方もない例えそのものよりもその例えで経典が我々に伝えようとしているメッセージは何なのかを読み取るっていうことはとても大事なことなんですね。
 そうして見ると我々のこの能力では答えようがないというそういう問題を抱えている。つまり「人間存在というのは未完成だ」ということに気付かせるためにある意味では「阿弥陀仏の物語」があると。

ナ:「阿弥陀仏の物語」の中で最も重要なのが、専ら念仏を称えることであると解釈し論証したのが法然でした。
 その根拠を記した「選択本願念仏集」、法然阿弥陀仏となる前、法蔵が立てた48の誓願の18番目に出てくる「乃至十念」という言葉に注目しています。法然は中国の善導の解釈を引きながら「念」とは単に阿弥陀仏を念じ思うだけでなく、「声」のことであり、口に出してその名を称える「称名念仏」、誰もが容易に称えることのできる念仏こそが阿弥陀仏の本願だとしたのです。
 
 『だから、はっきりと分かる。念仏は実践が容易であるために一切の人々に通用する。諸々の行は実践が困難なため全ての人々に通用することができない。
 だからこそ、一切の衆生を平等に往生させるために難しい行を捨てて念仏を称えるという容易な行を採用して本願とされたのであろう。
 もし、仏像を作り、塔を建てることをもって本願とされたならば、貧しく困窮している者は往生への望みを絶つことになってしまう。しかも、世には富貴の者は少なく貧賤の者は極めて多いではないか。
 だから、阿弥陀如来は法蔵であった昔、平等の慈悲の心を催されて遍く一切の衆生を救うために、仏像を作り、塔を建てるなどの行いを掲げるようなことを往生の本願とはなされなかったのである。
 ただ1つの念仏を称えるという行のみをもってその本願となされたのである』

阿:法蔵という人間が全ての人間を救うために立てた誓い、その1点に注目して中国で「浄土仏教」というのは生まれるんですね。その中国の「浄土仏教」が日本にやって来て、そして法然に至ってですね、無条件で『阿弥陀仏の名前を呼ぶ者は必ず浄土に呼ばれて仏になるんだ」というそういう教えを発見するに至るわけですね。
 念仏を称えることが一番大事な教えなんだということを主張した、それが法然の革命的な役割であるし、「念仏集」というのが生まれるゆえんなわけですね。
 仏教は慈悲の宗教だと言われるけれど、法然にとって慈悲というのは全ての人が救われて初めて慈悲になるのであって一部の人だけが救われてたくさんの人が置き去りになるようなそういう教えはそれは慈悲とはいえないという思いがあったんですね。ですから彼は、その人達が仏になることもできる、そういう道を自分は提示したいと思って、その結果が念仏をするという一番簡単な方法として実を結ぶわけですけど。
 だから法然が一番大事にした人は「室津の遊女」という例があるように、そういう遊女という生き方でしか生きていくことができない、そういう人とかそしてその大泥棒ですね、まともな暮らしでは生きていけないような人達、そういう人達が念仏してくれることを一番喜んだんですね。
 全ての人が救われないことには自分は本当に救われるということにはならないだろうと。ですから、「因」と「縁」と「果」というそういう網の中で我々は暮らしているとしたら、そういう「因」・「縁」・「果」の網の1つの結び目として自分が生きているとしたら、例えばその網が海の中に沈んでいるとしたら1つの目だけが海から浮かんでというようなことはあるかもしれない。しかし、それは次の大波が来たらすぐそれは沈んでしまうと。つまり、網全体がやはり救われるというそういう道が確保されない限り自分が救われることはないだろうと。
 だから、法然さんは己の救いを求めるよりは、その網全体がどうしたら救われるのかというそういう論理というか道筋を探すためにすごい苦労したんだと思いますね。

ナ:「歎異抄」の第十条、そこには、念仏とはどういうものか、親鸞法然から聞き、更に唯円親鸞から伝えられた言葉が記されています。

『「念仏においては、はからいを捨てることが道理にかなっているのです。そのわけは、念仏は私達が量ることもできず、説明もできず、思いをめぐらすこともできないものだからです」と法然上人はおっしゃいました』

鎌:その「無義をもて義とす」という時に「はからいを捨てる」というお話があったんですけども、その「本願念仏」について考えていくということについて阿満先生どういう、、、

阿:「無義をもて義とす」と、「義」というのはこの義理の「義」ですね。この「無義」である、「義」という漢字は日本語でいえば「はからい」と、人間がいろいろはからうということでしょう。何の「はからい」かというと、仏になるための、仏になるための「はからい」です。この仏教の教えを聞いて私がいろいろ工夫する、お教えのとおり修行をすると、そういうことははからいですね。
 しかし、念仏においてははからいを捨ててですね、はからいを捨てることがその念仏の道理にかなっているんだと、こういう意味合いですね。念仏というのは阿弥陀仏が工夫して人間に与えたものであると。人間が工夫した行ではないということがそこで一番大事なことなんですね。
 したがって、念仏は人間があれこれ考えずにただ称えればいいだけのことである、ただ念仏すればよろしい、というのが法然の教えなんですね。

鎌:人間の努力を、、、

阿:ええ、仏になるための努力ですね、それを否定しているんです。そういう人間が努力して仏になることはできないということを教えてるわけですね。ややもしたらやはり自分が努力をすれば真理は手に入るもんだと、もし真理が手に入らないとすれば自分の努力が足りないんだと、こういうふうに思いがちです。
 しかし、それは法然の仏教では人間は努力をして真理に近づくことはできないという前提に立ってるわけです。そういう人間がもし真理に近づく道があるとすれば、それは阿弥陀仏の本願というものに乗じるしかないと。
 だから、この「無義をもて義とす」という言葉はそういう意味では、あの法然の仏教の本質を伝えていると言っていいと思うんです。大事なことは、法然上人の仏教は人間にですね、人間変革を迫らないということですよ。つまり、「あなた変わらなきゃ駄目よ」ということはひと言も言わないですよ。変われないということを前提にしてる仏教なんですね。
 ところが僕達はややもすると、宗教というのは何か難しい修行なり努力をして自分が少しでもよい人間になるということを期待するわけですね。それが宗教だというふうに思い込んでる節がある。
 ですから念仏をしてもですね、必ずどこか自分が変わるはずだというふうな思い込みがあるんでしょうね。でもそういうことは法然上人の仏教においては全く意味がないんですね。我々は変わりようのない存在だと、その完全な智慧を目指しながら完全な智慧というものが身につけることはできない、そういう悲しい存在だというのが法然さんの基本的な立場ですね。

池座(以下「池」という):そうしますとあなた自身は自分の力では変わることができない、あなた自身の努力ではなかなかそれは突破できないんだという、人間というのはこういうものなんだということの否定といいますか、まあ否定とまで言うとあれですけれども、そういった何か厳しさみたいなものを感じるんですがそこはいかがでしょう。

阿:それはあの、仏になるという目標のための話だであってね、「因」と「縁」と「果」の全ての流れを知る智慧が身についているとそういう存在になるということのうえで私は無力なんだと、そういう意味では非常に厳しいですよ。何か科学的な真理を発見するために人間の努力は無駄だと言ってるわけじゃないんですね。
 だから我々は世間的に日常的な生活を営むために他力的であるなんていうことはありえないですね。それは自力を尽くしていかざるをえない。しかし、無力なままでは我々は生き切れない。その無力な人間のために浄土仏教というのは生まれてきたわけですね。

ナ:比叡山で厳しい修行を積んでもなお従来の仏教に納得できず苦しんだ親鸞は、法然の説く念仏の教えに深く心を打たれ、それを受け継ぎ発展させていきました。
 親鸞が20年間暮らし布教を続けた関東地方。そこには唯円はじめ数多くの信者が生まれました。
 しかし、やがて親鸞が京都へ帰ったあと、誰にでもできる念仏の行に対して疑問を持つ信徒も増え始め中には京都まで親鸞を訪ねて問いただす者も現れました。その時の親鸞の答えを、唯円は「歎異抄」第二条にこう書き留めています。

『皆様方は常陸から十余りの国境を越えて身命を顧みずに私を訪ねてきてくださったのですが、そのお心はひとえに「往生極楽の道」を問い、また聞くところにおありなのでしょう。
 しかしながら、親鸞が念仏の他に往生に効果のある特別の方法やまた一種の呪文や難しい経典の言葉を知っているのではないかと、皆様方が気にかけていらっしゃるとしましたらそれは大きな誤りと言わねばなりません。
 もしそういう期待がおありならば、奈良や比叡山の大寺院には立派な学僧達がいらっしゃることですからその人々をお訪ねになり、「往生の要」をよくよくお聞きになるのがよろしいのではございませんか。
 私親鸞におきましては、「ひたすら念仏して阿弥陀仏に助けられてゆくのがよい」という「よき人」法然上人の教えを受けてそれを信じる他に特別の理由はないのです。
 念仏以外の修行を試みて仏になることができるはずであったのに、わざわざ念仏をしたがゆえに地獄に堕ちたということならば法然上人にだまされたという後悔も生まれるでしょう。しかし私は、念仏以外のいかなる修行にも堪えることができない人間です。とうてい地獄を免れることはできない人間なのです』

阿:これは研究者によると親鸞88歳の時で、親鸞は90で亡くなるわけですけど88歳で、これを記録した唯円は39歳。まあ死をもう近くに親鸞がですね、この念仏するということに絶対的な価値があると。念仏、念仏は何かの手段ではなくて、念仏をするということに意味があるんだということを自分の体験から切々と語るというのがこの第二条の醍醐味なわけですね。
 はるばる関東からこの上京してきた門弟達がですね、親鸞に詰め寄らんばかりに、「果たしてこんな簡単な念仏だけで往生できるんですか」と「きっと親鸞聖人は何か隠してらっしゃるんじゃないですか」と、こう詰め寄るわけですね。「ただ念仏するだけではあまりにも簡単すぎてちょっとおかしいんじゃないかと」という気持ちがこの質問者のバックにあるわけですね。
 親鸞が面白いのは、そういうことが分かったうえでですね、何か隠してるんじゃないかということに直接答えずにですね、「よき人」法然上人に自分はどういうことを教えられたのかということを話すんですね。ただ念仏すれば浄土に生まれることができるという、そういう簡単な教えを自分が信じるに至ったのかという心をまあ熱く語るわけですね。
 そして、「自分はもしもその法然の教えを受けなかったらいずれの行も及び難き身であるからもう地獄しかないんだ」とこういうふうに語りかけて、その関東から来た人達がそれぞれに自分を振り返ってみてですね何が大切かと。その念仏せよということの背景にどういう切羽詰まった問題があるのかということに気が付いてほしいと。念仏をすることによって、自分がどういう存在なのかという問いが出てくるわけですね。結局自分ってこんな程度かとかいうようなこともまあ見えてくるということがある。
 それは仏教というのは「覚」の宗教だという言葉があります、自覚の「覚」ですね。「覚」というのは普通の自分のありようをもっと違う角度から見ることができるという、それが「覚」ということでしょう。だからその念仏はやっぱりそういう「覚」の働きをしているということだと思いますね、もうそれで十分なんです。
 ところが我々は欲が深くて、「それじゃこんないけない問題のある自分が、この念仏によって変わることができるんではないか」というそういうその思いに囚われてしまうんですね。でも、先程言ったように私共は変われないんですね。
 世間ではですね、易しいことはあまり価値がないと思うわけですね、難しいことほど値打ちがあると思っている。ところが阿弥陀仏の物語では、易しいことが最高の価値を持っている。確かに「南無阿弥陀仏」はたやすいですよ、他の修行は全部難しいです。だからその念仏に対する不信を拭う唯一の方法は、自分がどういう存在であるのかという自己吟味ですね。自分がどれだけの仏教の修行に耐えられる存在なのかというそういう自己吟味がもう絶対必要だと。
 ですから自分は努力すれば変わることができると思ってる人には、浄土仏教は遠いものになるでしょう。それは何か、敗者の宗教みたいに負けた、負け犬が言う宗教ではないかと。でも、努力してみると自分がいかに努力できない存在であるかが見えてくるわけですね。その見えてきた時にそういう人間のための仏教というのがあって、それが阿弥陀仏の仏教だということになるんだと思います。

ナ:親鸞は生涯をかけて、「教行信証」という書の執筆と推敲を重ねました。そこからは、親鸞が自らのありようを厳しく見つめ問い続けた姿が浮かんできます。

『本願と出遭うことによってはじめてわかった、悲しいことに私愚禿親鸞は愛欲の広い海に沈んだまま世間がいう名声や利益に心を奪われて歩むべき道を失っているのだ。
 煩悩のままでも念仏すれば必ず浄土に生まれ、仏になることが定まっているにもかかわらずそのことを喜ばないのだ。なんと恥ずかしいことであろうか、なんと傷ましいことであろうか』

阿:これはあの親鸞がですね、自分の「本願念仏」に至るまでの思想的遍歴っていいますか、そういうものに応じて、その生まれる浄土にも少しずつ少しずつ変化があるということを言ったあとで、自分の本質というのはこういうものだとして、この「愛欲の広海に沈没する」と。「愛欲」やこの「名利」というものの中でまあいわば、泥まみれである方がうれしいというふうな気持ちがどっかにあると。
 ですから、悟りなんていうことを言ってもですね、そういうものに近づくというような気持ちもあんまり起こってこないと。だから、実に恥ずかしい、傷むべしと。
 阿弥陀仏の本願と出遭わなかったらこういう表現はしてないと思いますね。普通の修行者であれば、これほど自分のありよう、自分の内面のこの愚かさを世間に明らかにするというそういうことはしなかったと思いますね。本願に裏付けられているからこそこういう言い方ができるので。ですから、本願の裏付けのある人間は、自分の中のその醜い点というものに恐れをなすこと、それを認めてなおかつ、それを超えて生きていくことができると。そういう力を示してるんじゃないでしょうかね。

池:ここで1つ言葉として「愚禿鸞」という言葉が出てますね、この「愚禿」というのはどのような意味でしょう。

阿:これはやはりこの「愚禿」の「愚」というのは、これはあの「本願念仏」の信者の本質をついている言葉ですね。自分は凡夫として自己中心の世界に生きていて、その仏教の真理というものを頭では分かってもそれを体得するということはできない。そういう存在というものを「愚か」とこういうふうに表現しているわけですね。
 そして次の「禿」というのは、法然上人のお弟子になったということと、それから流罪にあって俗人にされてしまうわけですね。出家者から俗人にされてしまう。そこで「禿」というこういう中途半端な毛の生え具合ですね。だから、在家でもなし、さりとてもはや出家でもないと。そういう中途半端な在り方を「禿」という字で表現しているんだと思いますね。
 ですから、「愚禿」という姓名姓自体が彼の生涯を表していると。自分の本質が無明という愚かさから一歩も出ることのできない存在だという意味の愚かさですね。そういうものがこの言葉の中に「愚禿」という言葉の中に示されているんだと思いますけど。

池:そうしますと、親鸞ほどの人がその自分のことを「恥ずかしい、傷ましい」って言ってるということに関しますと、これを受け取る弟子達っていいますかその周りの人間は絶望的だなというふうに考えるというのがあると思うんですが、それはいかがでしょうか。

阿:あの~、あるんでしょう。あるんでしょうが、念仏を続けることによって、つまり、念仏をするたんびにそういう心の在り方を考えるというふうな自分の在り方に疑いを持つようになるでしょうね。つまり、いつも清らかで落ち着いた気持ちで念仏をすなんてことはありえないということは分かる。念仏することによって自分の在り方がこんなに自分というのは、頼りのないものかというこちが分かってきますから。
 そういうことがあってですね法然上人は、「ただひたすら念仏せよ」としか言われなかった。それを親鸞はいろいろ法然上人の教えはこれだけ仏教の本道そのものにあるんだということを仏教学の膨大な知識を動員していろいろ検証して皆に教えると。ですから、ああいう「教行信証」という極めて難しい本をお書きになるということにもなっていったわけですね。

ナ:「本願念仏」の教えを体系化し検証した親鸞の「教行信証」。そこには、親鸞が「念仏とは何か」その核心についてつづった文章があります。

阿弥陀仏は「名」をもって人々と交わる。だから、その「名」を耳に聞き、あるいは口に出して称えると阿弥陀仏尊い功徳が私達の心の奥底にまとまって入って来る。そして、久しく仏になる種となり、知られざるはるかな過去から積み重ねてきた重罪がすみやかに除かれ悟りを得ることができる』

阿:この文章は、中国の12世紀の僧侶元照という人が書き残した文章ですけど、親鸞はその文章を引用することで恐らくその念仏の価値というものを確信したんだと思いますね。
 念仏するということは仏道、つまり仏教の教えの本道そのものであるということを元照という人は明らかにしていて、それに私は接した時にですね、なぜその阿弥陀仏の名前を呼ぶというこういう単純極まりない方法がですね、我々をその真理の世界に導くとこういうふうに言うことができるのか、それがまあはっきりしたと思うんですね。
 それは、どういうことを言ってるかというと、その阿弥陀仏という仏は名前をもって自分の名前をもって人と交わる、そういう仏であると。声に出して称える、そうすると阿弥陀仏の心が全部私の心の奥底に届いてですね、そしてそれがいわば種になってその名前を読んでいる人に働く。その働きは称名する人を仏たらしめる道を歩ませてくれると。
 そこでその阿弥陀仏というのは、どこに存在してるのかということは気になると思うんですね。どこか宇治の平等院でも存在、あそこで阿弥陀さんがいらっしゃいますから、ああいう仏像の形で存在してるのかと、どこに行けば会えるのかこれ皆、どこかで疑問に思ってるでしょう。
 しかし、阿弥陀仏の場合はですね、非常にはっきりしてるんです。阿弥陀仏がですねどこか西方極楽浄土にいらっしゃるというのは、それは物語の中の話であって、実は阿弥陀仏という仏はですね、「南無阿弥陀仏」という名前になっているんですね。「名号」と言いますけれども「南無阿弥陀仏」という名前になっている。ですから、その人が「南無阿弥陀仏」と称える時にだけその人に存在すると。もしもその人が「南無阿弥陀仏」と称えずにですね、阿弥陀仏はどこにいるのかと言ってもそれは答えがないんですね。阿弥陀仏というのはその名前を称える人にだけ、あるいは称えた時にだけその人に存在すると、これが阿弥陀仏の正体なんですね。
 ですから、阿弥陀仏はどこかに存在してるんではなくて、働きですね、あえて言えば働きである。私が「名号」を「南無阿弥陀仏」という名を称える時に私の中で働く。その働きは私を真実の存在たらしめる道に導くためであると。

鎌:その阿弥陀仏というのがどこかに存在したり、仏像ではなくてその称えた時にその働きとして、その人の中に働くんだっていうことをおっしゃったと思うんですけども、つまりその、阿弥陀仏という何か対象物があってそのものをこう信じたり、そのことに願をかけるということではないということなんですよね。

阿:向こうの方が入ってくる、もう私の中に入ってきてくれるんですね。だから阿弥陀仏の名を称えるということは、阿弥陀仏の価値観と私とが一体になってるわけですね。だから祈る必要はないわけです。もう全部向こう側が用意して私の中に入ってくると。ですからただその名前を称えるだけでよろしいということになるんでしょうね。
 つまり、もし自分の外に阿弥陀仏がいたら、「阿弥陀さん、私の方に目を向けて下さいね」と、「こんなに私は困っていますから助けて下さいね」というそういうことになっちゃうでしょう。しかし、阿弥陀仏が私の中に念仏と共に入ってきてしまうんだから、今更阿弥陀仏にお願いする必要もなにもないんですね。
 だから、いわゆるその「祈願」ということと「名号を称える」ということとには、大きなやっぱり違いがありますね。「教行信証」の中にある言葉でですね、阿弥陀仏の心が我々の心の中に「攬入(らんにゅう)」するという難しい言葉を使ってるんですね。「攬入」の「攬」というのは、まとまって形、本質を変えずに流れ入ってくるという意味なんですね。つまり、阿弥陀仏があなたの、あなたのところに伝わってくる時には少し手加減をして、「あなたはこういう人だから、あなたにふさわしいように私の教えというものを伝えましょう」というんではなくて、阿弥陀仏の全ての力をねどんな人間に対しても、いささかもこの変えることなく入ってくるというんですね。
 ですから私がですね、その念仏をしたからといって特別に何かが変わるんではなくて、大事なことはそういう私の中に阿弥陀仏の全部が私の無意識の奥底に沈んでくれているという、そういうある意味での自信といいますかね、そういうものが何か時には落ち着きをものたらしてくれたりとか、コンプレックスのままでもいいんだとかいうふうな自己肯定ですね

 その阿弥陀仏の名を称えるというそういう行為を繰り返していくことにおいて1つの道筋ができているということが大事なんだと。その道筋があって初めて私達は生きてる間にこの道をたどっていけば、自分が真実なる存在への道にこれがつながっているという、そういう思いが生まれてくるということが大事なんじゃないでしょうか。

ナ:親鸞による念仏の教えが広がった関東地方。埼玉県蓮田市には、法然親鸞が生きた鎌倉時代に建てられた遺構が1つ残されています。法然の没後およそ100年、唯円と同じく親鸞に学んだ真仏法師を追悼して作られた名号の碑です。

阿(碑の前で):「本願念仏」の精髄というものを、力というものを示すものはないかということでずっといろいろ見てきたんですけど、その時にこれに出遭ったんですね。この板碑を中心にして当時の念仏者達がそれこそ他力とは何かとかね、阿弥陀仏誓願とは何かとかそういう議論をいろいろしてたような気がしますね。
 一つ一つこうゴツゴツしてるでしょ、一字一字もう実にものすごい力を込めて書いてるんですよ。ここからね、感得するというか感じるということが大事であって、ここからエネルギーをもらうんだぞと。ここに「本願念仏」の精髄が伝わってきてるんだからここからもらわないと、それ以外からもらうと、どうもその理解が難しくなるぞという思いがあるんです。

歎異抄 (ちくま学芸文庫)

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