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NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」の文字起こしです

2023/1/29 生き延びるための物語

小松原織香:哲学研究者

これると嬉しいです。

ナレーター(以下「ナ」という):哲学研究者小松原織香さん。戦争や犯罪被害を受けた「その後」、人はどう生きるのか、考えている。
 ベルギーの大学で2年間、環境破壊後のコミュニティ再生などの研究を行ってきた。

『取材者:元々英語って大学の頃から普通に?
小松原:いいえ、全くできませんでした私。英語を使うようになるとはもう全然思ってなかったし、子供の時から全然興味がなかったんですけど。
 もうなんか普通にしようと思うんですけど、あまりにも非日常的で、どうしていいか分からない』

ナ:「当事者は嘘をつく」、小松原さんは去年、自らの経験を元に1冊のエッセイを書いた。
『私の研究の背景には長い長い物語がある。私の研究の情熱の源は、自分自身の経験にあった。私は回復した被害者ではなかった。痛む古傷を抱えながら生きているサバイバーだった』

ナ:19歳の時、知人男性から遭った性暴力の被害、そして研究者となる半生を綴った。
 この1冊の本をめぐるドキュメントが始まる。
 これまで公の場で自分のことを語ってこなかった。今回、3回のインタビューに応じた。
苦難に遭った後、人はどう生きるのか。

小松原:なんかあんまりチープな物語を作らない方がいいと思ってるんですよ。だから、本を出しました。それで自分のカムアウトとして、アイデンティティーが変わりました。当事者として、お話できるようになったから、今度は国際学会でそのことについて話しましたっていうのはチープだと思うんですよね、私すごく。
 結局その何か、災害であれ犯罪であれ暴力であれ、何か起きた後に人がみんな集まってくるけど、でも、本当の当事者の人生ってのはそこがスタート地点で、そこからもずっと生きてかなきゃいけないんだけど、なんか、どっかで肯定したいというか、自分のその起きてしまったこと、性暴力が起きたことを、なんか、その性暴力自体は別に肯定したいわけじゃないけど、そういう人生がなんか「自分の人生最悪ではないぞ」って思う気持ちがあって。

ナ:本の「まえがき」にはこう綴られている。
『この物語は真実だが、私は常に「嘘をついている」と思いながら語っている。あなたが、私の言葉を疑う以上に、私は自分の言葉を疑っている。だからこそ、私はあなたに最後まで聞いてほしい。真実を明らかにするためにではなく、私の生きている世界を共有するために』

 これまで女性は繰り返し声を上げてきた。世界中で#Metoo運動が起こり、「性暴力を告発する」動きが広がった。
 一方、小松原さんは「なぜ私が暴力を振るわれたのか?」、「生き延びる中で自分が何を見たのか?」、哲学の問いにした。
 被害者支援を長年続けている信田さよ子さんは、こう言葉を寄せた。
『性被害ほど定型的に語られてきたものはない。本書には、当事者と研究者、嘘か本当かをめぐって、幾層にも考え抜き、苦しみ、格闘したプロセスが描かれている』

 小松原さんは被害のその後をどう生き、どんな思いで本を書いたのか。1週間ほどベルギーに滞在、3回にわたってインタビューを行った。

取材者:よろしくお願いします。
小松原:よろしくお願いします。

取材者:まずなんですけど、私は本を「当事者は嘘をつく」を読んで、お話をもうほんとに伺いたいという思いで来ました。

小松原:そうですね、私もう 20年経ってるので、今更なんか色んな人がいるから、別にどのタイミングで言いたくなるかは全然人によるんですけど、でも、私はもうなんか言いたいっていう気持ちはあんまりなかったんですよ。だから、別に知ってほしいとも思わないし自分のその経験を、社会を変えるために自分が立ち上がるっていう気持ちも実はもう全然なくなっていて。

ナ:およそ20年間、被害を公にしてこなかった小松原さん、自らのことを本に書いたきっかけは、ある編集者からの依頼だったという。

小松原:文学フリマって、同人誌即売会なので、なんかみんな自分の本を売ってるんですよ。そこに私は、自分が刷った報告書集を配ってる時に柴山さんがいらっしゃって、私はその時、なんか営業だと思ったわけですよ。だから、名刺いただいて「あ、分かりました、ありがとうございます」って言って、多分これはなんかみんなに配ってんだなと思って、そのまましまったんですよ名刺を。そしたらすぐにメールが来て、「本を作りたいと思ってるし、1回お話したい」って言われて、私はもうそれこそなんか、「え、どうしよう」って思っちゃって、「え、マジ?マジで本作るの?、私本とか作ったことないけど大丈夫?」みたいな感じで、なんかすごいおろおろするというより、「いや~、大丈夫かね、こんなん、、、」みたいな感じで。

ナ:声をかけた編集者の柴山ひろきさん。性暴力に関連する本をはじめ、 数々の話題作を担当してきた。小松原さんが、ニュースや本などについて書いたブログに注目していた。

柴山:そうですね。それこそ#Metooの話とかいくつもね書かれてましたけど、なんだろうな、ただやっぱり何かしら、そのフェミニズムに関するトピックが、twitter中心にちょっとこう盛り上がった時に、小松原さんだったらどういうだろう?みたいな感じですよね。なんていうか、こう自分の考えというよりは、小松原さんどう思ってるんだろうって知りたいっていう感じで、なんかやっぱり、なんていうんですかね、なんか起きた時にいろんな人の意見って聞きたいじゃないですか。それに多分近くて、小松原さんだったらどういうのかなっていうので見てましたね。まあ、言っちゃえば面白いものを書いてほしいっていう風にお願いをしていて、あとはまあ、自分の関心がその被害と加害みたいなものにあるっていうのも最初のメールでお伝えして、何かしらそこにタッチするものっていう依頼ですかね。その時は、そのサバイバーだとかそういうのは全く知らないまま。

ナ:一方、小松原さんは何度も原稿を書き直す中で、自身の経験を物語にすれば形にできるのではないかと思ったという。
小松原:包み隠さずというより、そういうお話をしようと思ったんですよ。だから、私の苦しかった経験を誰かに聞いてほしいわけじゃなくて、なんかこれをお話として、若い女の子が成長して研究者になりましたっていう体で書こうと思って、でも実際に自分の人生はそうじゃないんですよ。
 だからすごいギャップがあるから嘘な、「嘘」っていうのはもうこの本のテーマでもあるけど、やっぱりそんな物語にはならないんですよ私の実人生は。
 でも、書けるなと思ったんですよ。しかもそれは、それこそその作り話じゃない形で、構成さえ考えればそういう話に持っていけると思ったので、それは面白いんじゃないかなと思って。それは多分読み物になると思ったし、私は、でも本当に真剣にこれはエンタメ小説として書いたつもりがあって、だからもう、なんか気軽に読んで、後でワクワクした冒険譚として楽しんでほしいっていう。

柴山:そうですね、うーん、なんか勇気がいったって感じですかね、やっぱり。なんか勇気がいった本っていうか、そんななんかこう「いい原稿来た!出そう!」とかじゃなくて、原稿はいいし、ちゃんと作ればちゃんと届くはずだって思ってたんですけど、本当にどうやって本の形にまとめればいいかっていうのが、一時期ずっと悩んでたと思います。その原稿を読みながら。
 なんか、テーマっていうんですかね、やっぱ論争的っていうか、挑発的でもあるっちゃあるので、なんかそういう意味では変な話、そんな行儀がいいわけじゃないっていうんですかね。

『いつもより落ち着いた様子の私に、医師は「何かあったのではないか」と問いただした。私は暴力について話すつもりはなかったので拒もうとしたが、彼は「ちゃんと話さないと治らない」といった。
 私は「そういうものか」と思い、性暴力の経験と彼と電話で話したことを正直に話した。医師は途中で私の話を遮り、笑いながらこう言った。「ああ、そんなことはどうでもいいですよ。よくあることだから」、その時の医師の顔もまた私の記憶に焼きついている。彼は続けて「早く忘れてしまいなさい」と言った。当時の私が一番に考えたことは、「話すべきではなかった」だった。

柴山:こういう書き方でしか、できないことも多分あるなっていう風に思って。やっぱりその自分の話を一種物語化して書かないと書けないぐらい、やっぱりその被害の経験ってのが、 なんていうかトラウマとして残ってるみたいなこともなんとなくわかるし。

ナ:本は広く読まれ、様々な反響を呼んだ。


『【嘘をつく=物語る】ことを自分の武器にしていく過程が描かれているのかな(SNS上の感想)』
『私たちは誰かのレールの上に乗った回復をしなければならないわけではない(SNS上の感想)』

 小松原さんはある哲学者との出会いを本に綴っている。フランスの哲学者ジャック・デリダの「赦し」についての論考。 
『赦してやろうと考えられるものを赦すことは、もはや「赦し」ではないという。赦すことができないとしか思えないものを赦すことこそが<赦し>』と論じた。
 加害男性の記憶に縛られ苦しんでいた小松原さんは、「そんなことは机上の空論だ」と憤り、本を投げつけた。しかし、もう一度手に取った。
『壊れやすさ、私はそれを自ら要求しましょう。赦しの壊れやすさは、赦しの経験の大事な要素ですから。私は、もし赦しがあるならば、それは人知れず、留保された、ありそうもないはずのものであって、従って壊れやすいものに違いない、というところまで考えを推し進めようとしました。被害者たちの脆弱さ、その脆弱さに結びつけられる傷つきやすさは言うまでもありません。私はこのような壊れやすさを考えようとしているわけです』
 「これは私の話だ」と思った、小松原さんは記している。
 加害男性の激しい怒りで相手を殺す夢まで見る中、赦さなければ自分が壊れてしまいそうだった。そして加害男性に自ら電話する。「あなたのやったことは暴力だと思っている」と必死の思いで訴えると、男性は「悪かったと思っている」と答えた。そこで「全て赦す」と伝えた。

『彼は私の赦すという言葉に対して、「うん、わかった」と答え、続けてこう言った。「ところでお前さあ」、私の真剣な<赦し>に対し、彼はやすやすと話題を変え、久しぶりに会った懐かしい友人に語りかけるように話を続けた。私の<赦し>は形だけのもので、あまりうまくいかなかった。
 本にはその後、ある活動に参加した体験が書かれている。同じように性被害に遭った経験のある当事者同士の繋がり、「自助グループ」だ。そこでは、立場も事情も違う人たちが、それぞれの経験を「言いっぱなし、聞きっぱなし」で語り合った。


『私の経験から考えると、自助グループの活動は、「自分の経験を語ることで自己を形作る」というよりは、「他者の語りを自己の経験に重ねていく」ことに近い。
 「私はそれを知っている」、その強烈な感覚が自分を揺さぶり、「あの人は仲間だ」という思いが体の奥から突き上げてくる。
 私は自助グループでは積極的に共振し、同一化していく中で、孤独だった自己から解放されていった。トラウマに苦しんでいる渦中の私が、喉から手が出るほど欲しかったのは、このような 「回復の物語」である』

そして、トラウマの第一人者、精神科医ジュディス・ハーマンと出会う。「回復の主体は性暴力の被害者にある」というハーマンに圧倒された。一方で、ハーマンの赦しについての認識には疑問が深まった。

『当事者は加害者を赦す必要はなく、トラウマが癒されていくと「加害者が全く興味のない存在になってしまう」と述べていたからだ』

『しかしながら、回復するだけがサバイバーの人生だろうか。私たちは「心の傷が癒されるべき存在」として矮小化されていないだろうか。
 赦すに値しない加害者の前で<赦し>を与えるしかなかった日、あれはなんだったのか。一瞬垣間見た<赦し>の影を追って、私は研究者になる道を進んでいく』

 本の中では、研究を進める上でハーマンは最大の仮想敵だったと綴られている。

小松原:ハーマンは立派な人なので、、それは戦うに値すると思ったので書いたんですけど、仮想敵って書いたらなんか本で、なんかすごい重く捉えられちゃって、いや、研究者は仮想敵を作って、自分の論を鍛えていかないといけないんですよ。常に批判者が必要で、照らし合わせながら、この人とは私は違うという形で、自分の考えを研ぎ澄ましていくところがあるんで、そういう意味で、やっぱりその仮想敵にしたっていうところは ありますね。

ナ:小松原さんが選んだ研究テーマは「修復的司法」、従来の司法では加害者を罰して問題解決をしようとしてきたが、修復的な司法では被害者と加害者の対話を中心に置く。
 小松原さんは性暴力の問題を修復的司法で捉え、 被害者の視点で加害者と対話できるかを研究した。

取材者:修復的司法の出会いというか、それを知ってショックというか、どんな気持ちに、最初、、、

小松原:いや、私が考えてることは、おかしくなかったって感じですね。元々その自助グループの中で、加害者に会いたいって思ってる人がいるし、それはサポートすべきじゃないかと思ってたけど、まあ、当時の支援の現場では、もうそんなことは絶対許されないし、それはそういう風に思うこと自体がまだトラウマにとらわれてるっていう考え方だったから、
それに対してすごい、うーん反論することができなかったですよね。やっぱり自分自身がそうなんじゃないかと思ったし、自分自身がおかしいんだっていう風に思ってたし、まあ、危ないからやめておこうみたいなふうにしか他人にも言えなかったんだけど、誰もやらないんだったら私がやろうと思ったので、驚きとかよりも、なんか誰もやってないことへの怒りの方が大きかったです。なんで誰もやらないのって。
 やっぱり私は2000年代にすごく「当事者」という言葉が日本で使われた時期に学生だったし、すごく身近な言葉ですけど、その時に当事者って言葉がなぜ必要だったかっていうと、研究者から言葉を取り戻すためだったんですね。研究者がインタビューに来る、それを分析する、その人たちの業績になる。でも、当事者は自分たちの声がそのまま拾われたと思ってないし、なんならシンポジウムに呼ばれて話はするけれども、結局それって自分たちが利用されてるんじゃないかって思いを常に抱えていたので。

ナ:小松原さんはそう話した上で、自らの「当事者」の言葉と研究者の言葉は違うと説明した。

小松原:ただ、 やっぱりこうやって実際に当事者として話し始めると、当事者として話すことと研究者として話すことはちょっと違うので、そこがやっぱり難しいというか、だから今日とかすごい難しいんですよ。やっぱり当事者としての質問と研究者としての質問があるので、どっちで答えたらいいのかっていうのは結構自分の中で分けないといけなくて。やっぱり研究者としてコメントを求められると間違ってはいけないので。
 でも、当事者としての自分はそうじゃないので、生の生を生きてるので、そうすると、やっぱり矛盾もあるし、他の人との葛藤もあるし、それは全然別の言葉が出てくるので、で、それは私は混ぜない方がいいと本当に今も思ってますけど。
 なんか、あんまりチープな物語を作らない方がいいと思ってるんですよ。だから、本を出しました。それで、自分のカムアウトとして、アイデンティティーが変わりました。当事者としてお話できるようになったから、今度は国際学会でそのことについて話しましたっていうのは、チープだと思うんですよね、私すごく。
 みんなそれで納得するかもしれない、で、私がその物語をその商品として売る時に、そういうストーリーラインを自分で作ったし、成長譚として書くのは全然。それは自分の書く面白さとして見出しましたけど、やっぱり話し言葉は違うので、私はそのままの人なので、なんかそういう物語は語れないんですよ、それは諦めた方がいいと思います。

取材者:言葉で説明させようとするんじゃなくて?

小松原:そうそう。だから、多分その結論は私は最後まで言わないと思います。でも、繋いだら繋がると思います。そう、それは編集でっていう感じで。
 そんなに緊張しないでっていう感じ。そんなに私を恐れないでって感じで。私、なんかすごい、そう、そんな感じです。
ナ:小松原さんの人生にとって研究とは一体なんなのか。2回目のインタビューは郊外の自宅で行われた。
 2年間、修復的司法の研究で知られるベルギーの大学の客員研究員となっていた。

取材者:どんな道のりで今っていうのは、やっぱり私達はイメージわかないので

小松原:えー、でもなんか難しいな。なんか道のりってなんか難しくないですか。私がなんかこう難しく考えすぎなのかなってすごいさっきから思ってるんですけど、でもね、まず私は自己紹介が苦手なんですよ。その時点で大体お察しじゃないですか。自分の人生をまとめるのが下手なんですよ。だから、大体、研究の全体像を話すのが苦手なんですよ。だから、いつもお前は何がやりたいのかわからんけど、最終的にはどうなるのって言われて、それはちょっともう先の話ですかねみたいな。

ナ:被害者と加害者の対話を中心に置いて問題解決を目指す修復的司法。そこには大切なものがあると小松原さんは言う。

小松原:修復的司法っていうのはプロセス思考と呼ばれてるんですけど、修復的司法って、基本的に暴力とか犯罪の被害者と加害者が対話するんですけど、どっちもがやっぱり準備ができてることって少なくて。例えば、被害者の方がすごくトラウマが深くて、なんか会うつもりだったけど、こう話してるうちにだんだん辛くなって、やっぱりもう会わない方がいい、会わないことを選びたいって言ったら、それはそれでオッケーだし、加害した人が、 やっぱりまだ自分と向き合えなかったりとか、自分のしたことの重さにちょっと耐えられなかったりとか、いろんな理由で ずっと会える状態じゃないってこともたくさんあって、で、そういう時は途中で止めるんですよ。でも、それは失敗とは修復的司法では見なさなくて、それまでにその人たちが考えたことってのはすごく大事で。で、もうそれだけでやっぱりこう尊敬に値することだし、そこを大事にする実践なんですね。で、 何かこう、結果で和解したとか、2人がその後こういい関係になりましたみたいなのっていうのは、対話の結果としてなんか求められがちなんだけど、そうじゃなくて、その話してる時にその人たちが感じたこととか発見したことっていうことの方が大事で、だから1人1人の経験のプロセスを見ていくんですね。

ナ:7年前から研究テーマとしている場所がある。大規模な公害に見舞われた水俣。きっかけは、知人が「修復的正義」の視点から水俣について考えていると聞いたことだった。
 本には事前の調査である映像を見たエピソードが綴られている。化学工場の排水によって被害を受けた住民が企業と相対した場面だ。

『私はこの10数年間の苦しみを、また父母の全て水俣病患者に対しての恨みをここで社長に対面し、、、
 社長江頭豊でございます。
 水俣病患者に発言をさせてほしい!
 わかるかこれが!親が欲しい子供に、また親、その親、子供、自分が身だけじゃなかったぞ、ようわかったか!出月の浜元じゃ、浜元!わかるかおるが心、おるが心、わかるか!』

『浜元さんは白装束に身を包み、両手に両親の位牌を持ち、それを社長の胸に突きつけて 「私の心がわかるか!」と怒鳴っていた。
 私はその場面を見ながら、両目から涙が噴き出してきて、まともに画面を見ることもできなかった。
 それは被害の内容は違えども、加害者と対話を求め、加害者に自らの痛みを分からせたいという被害者の声だったからだろう』

 しかし、小松原さんは自分が関心のある声だけを聞こうとしているのではないかとも考えるようになった。

小松原:やっぱり、うーん、すごく危険で、自分の持っている枠組みで相手を見てしまうっていうのは、研究者がすごくやりがちなことで、私は自分がそれをやるんじゃないかってちょっと不安で、例えば、確かに水俣は、長く公害運動を展開していて、その中で、例えばコミュニティ再生の取り組みであったりとか、被害者が赦しについて語ったりして、修復的司法に出てきそうなお話がたくさんあるのは最初からわかってたんですけど、 でも、その人たちは別に修復的司法をやりたかったわけじゃないので。だからそれを自分がこう、これは修復的司法ですって外から来て、そういう枠組みに入れるっていうのは、やりたくなかったから、できれば修的司法の研究をやらないでおこうと。ただ、1回行くとそこで繋がりができたので、もう、やめれなかったというか、ズルズル行き続けたっていうのが正直なところで。

ナ:現地では「水俣病」ではなく「水俣」を教えてくれる出会いもあった。

小松原:水俣って言うと、水俣病のイメージが本当に強いので、みんな海に行くんですけど、でも、水俣のほとんどの地域は山なんですね。だから、山に連れていくって言われて、山に連れてっていただいて。
 その途中に、ある農家さんに寄った時に、クレソンが今育ってるから、これをもらって、こうって言って、ちょっと抜いてこいと言われて、クレソンを自分でとってたんですけど、なんかその写真を撮ってくださったんで、なんか、すげえ、なんか嬉しそうに笑ってる写真が。
 結局、その何か、災害であれ犯罪であれ暴力であれ、何か起きた後に人がみんな集まってくるけど、でも、本当の当事者の人生ってのはそこがスタート地点で、そこからもずっと生きてかなきゃいけないんだけど、でも、その直後はみんな注目するけれども、なかなかそれを継続して終える人ってのはいないし、みんな自分の生活あります、どんどん新しいことが起きるからそれはしょうがないんだけど、でもその後の人生っていうのは、やっぱり当事者は生きてるので、 私はそっちの方が興味があるので、どっちかというとその渦中のことよりは、その後の方が関心がありますね。

ナ:小松原さんは水俣に何度も通い、手記などの膨大な記録にあたって1人1人の声に触れようとした。

小松原:その運動の中でも、なんかみんながこう被害者と一緒に怒って、抗議の声をあげてる時に、うっかりそこで自分が声が出せなかった人の手記とかすごい好きなんですよ。そこで自分はなんでダメなんだと一緒になって声を上げたいけど、うまく体が動かないし、みんながこう本気でやってることなのに、なんで自分はこんなになんかダメなんだみたいな。でもそれは この被害者と向き合うんじゃなくて、自分自身を見つめないとダメで、自分のその足元がやっぱり見えてないから、人の問題にも入っていけないんじゃないかっていうのを 書いてる。「しまった反対できない」っていう人をすぐ気にしちゃうんです。なぜなら自分がそうなりがちだから。で、やっぱりみんなに乗れなかったっていう、なんか、なんて言ったらいいんだろう、なんかね、嫌とか悲しいとか、怒りとかじゃなくて、「しまった」って感じなんですよ、「え、みんなそう思ったか、しまった」っていう感じ。
ナ:水俣に通い続ける中で、小松原さんは当事者ではない立場から研究する意味について考えを深めていったという。

小松原:私は、自分の研究は最初に自分のことをやってしまって、だからすごく辛かったし、しんどい思いもめっちゃしましたけど、でも私には必要だったと思ってるので、全然後悔はしてないですけど。
 そうじゃなくて、他人の問題を研究する方が、ずっと 研究者としてのスキルアップであったりとか、まあもちろん倫理的なものもあって、自分のことじゃなく他人のことを知るっていうのは非常に難しいことで、分かったような気にならないとか、相手をそれで傷つけてしまうとか、そういうこともたくさんある中で、研究していくのはすごい大事なことなので、それは全然それでいいと思いますね。でも、 どっちも別に悪くないっていうのはすごく思っていて。

ナ:苦難と小松原さんはどう生き延びてきたのか。最後のインタビューとなったこの日。
 当事者として考えてきたことを教えてほしい、そう伝えると、小松原さんは取材ではなく、当事者として話をしようと言った。

取材者:小松原さんが本当に思ってるかを聞きたいだけなのになと思うと、、、

小松原:なんか自分がその研究者に対して、本当に恨みみたいなのをずっと持ってて、
なんかいっつも私たちは、ああいう人たちが自分に対して向ける目も嫌だし、自分がカムアウトした時に、「あ、この人、性暴力被害者なんだ」って思われたら、もうそれで私のなんか私自身ではないものを見られてる感じがして、すごい、なんだろう嫌なんだけど、それをこう、なんて言うんだろう、すごくアンビバレンスな気持ちがありました。
 じゃあ、自分のその普段の生活の中で、私が性暴力被害者だとか被害者じゃないっていうのは、もちろん、直後はすごく大きな問題だったけど、今はそうじゃないし、なんか、日常の生活の方がすごく大きいから、わざわざ言う必要はないっていう気持ちをずっと持ってきたんだけど、でもそうすると、こう社会の中で、たくさんあるなんかこう、声を上げてほしいみたいな、性暴力被害者が、その声を上げることによって社会を変えれるし、性暴力を防げるんだみたいな、そういう話があると、自分が言わないことが、なんか悪いことというか逃げてたりとか、なんか、本当は言えばもっと変えられるのにやってないとか、あと、他の人に背負わせてしまったとか、そういうことをずっと考えることになって、だから、自分の中である、なんかそのカミングアウトの問題とか名乗り出ることっていうのは、なんか直線じゃないんですよ。だからすごく難しいんだけど、でもそれをこう伝えるのはすごく難しいから、もう黙っておくか言うかしかないんだけど。
 まあそれで、そういういろんなすごい複雑な思いを抱えて水俣に行くわけですよ。でも、水俣に言ったら、本当はそういう風に生きてる人たちだけど、自分はやっぱりそれは水俣病の被害を受けた人として、なんかこうデータを取ろうとする部分もあるし、もちろんそれが必要な部分もあって、そうでないと、なんでこの人がこういう、こう調査に協力してもらったのかとか、なぜこの人の声を聞いた方がいいのかっていう説明がなかなかできないから、この方はそういう水俣病の被害を受けられたとか、ご家族を亡くされたみたいな、そういう肩書きでこうご紹介する。
 でも、 なんかそういうのじゃない、本当にその人自身が私は関心があって、興味があって話を聞きに行っている部分があるから、すごく難しいし、そのインタビューをまとめようと思う時に、その人の1番自分がいいと思うところを抜くわけですよ。でも、その抜き方っていうのはこれでいいのかなみたいなのがずっとあるし、何より自分がその調査者としてそういう水俣病を対象にして入っていくこと自体の矛盾みたいなのがすごいあって、やっぱそれはなんかわかんない。自分がすごい変わったかって言われると、、、
ナ:何が本当なのかを突き詰めて考えると生じる「自分は嘘をついているのでは」という不安、どう考えてきたのか

取材者:あまりにももう1個大事にしていることが本当に思ってることだから、やっぱ言いたくないなとか、だって思ってないものみたいなことは今覚えています。

小松原:そうですね。でも、それってなんか何が違いなんでしょうね。その本当のことを 言うことにこだわる人。私がそうですけど、別に誰も困らないんだけどなみたいな、別にそこで私が、いやこうで、ストーリーを作って話しても、別に悪いことじゃないじゃないですか。で、そうする人もいるけど、でも、なんか自分はそうじゃないよなっていうのは、めっちゃ、だからね、あんな本書いちゃうんですけど。私はこう、「当事者は嘘をつく」っていうタイトルもやっぱりそれは、自分がすごい本当のことを言うことにめちゃくちゃこだわりがあるからだと思うんですね。その、そこまで気にしなくても、あれはどう考えたって嘘をつく人の本じゃないわけですよ、どう読んでも、でも私はそれにすごい気にする。
 やっぱり同じように、自分も本当のことを言ってないんじゃないかっていう不安があったっていう人からの反響ってのは結構あって。そう思うとやっぱりそれなりにいる、私だけではない、私がすごい特殊じゃなくて、それなりになんかこう、自分の過去を語る時に、何が本当なのかっていうことをすごい不安になる自分っていう人はいるし、なんか自分に対する、なんだろう、なんか変な、ちょっと脅迫的なぐらいに誠実さを求めてしまう人っていうのは結構いるんだなっていうのは発見ではありましたよね。本を出した後に、なんか逆に、
なんかそういう思いを抱えてるけど、誰にも言えないって思ってた人にとって、いや本当のことを言いたいけど、それを伝えるのは難しいけど、でも信じてほしいみたいな部分っていうのをすごい書けたのはよかったなと思いました。

ナ:「当事者は嘘をつく」はこう結ばれている。

『この本が公刊されることは、新しい語りの型を次に生き延びる人のために提供することでもある。それは、もっと自由で流動的な誰かの事故を狭いかにはめてしまうことかもしれない。
 でも、その窮屈な型を破って、新しい型を生み出すサバイバーがきっと出てくる。私の語りの型は、誰かの生き延びるための道具となり、破壊され、新しい型の想像の糧になる日を待っている』

小松原:私はもうこの研究をやめたらもっと回復できるって思ったんですよね。自分で自分の状態を悪くしてるというか、むしろトラウマをえぐって自傷行為なんじゃないかとか、 なんか回復することから逃げてるんじゃないかとか、本当に色々自分に対して、なんか負い目というか、間違ってるんじゃないかっていうことを何度も思ったし、まあ、本とかでは結構さらっと書いてるけど、実際は、もう本当に、夜寝てて、なんか不安になって、目が覚めて、やっぱり、やめれば楽になる、もうこんな研究をやめて、どっか別のところで別のことをやれば、こんなに辛いことはないし、自分も元気になれると思った時に、本当に声が出て、「やめたくない」って、すごい 1人で、なんかね、夜中に1人で「やめたくない」って言うわけですよ。嫌だ、辞めたくないみたいなことを言って、すごいもういっぱいいっぱいですよね、もう限界まで来てたので、

取材者:寝てて「やめたくない」って、聞くだけで想像しちゃうような、勝手に。なんか、
なんでそこまでやっぱ踏ん張れるのって

小松原:何だったんでしょうね、わからない。

 なんでそんなに自分がやめたくなかったのかもすごく不思議で。1つは、やっぱり加害者の存在は大きかったとは思います。私は加害者からお前はそんな、すごく落としめるようなことを言われていて、言ってみれば馬鹿だみたいなことを、もっとひどい言葉で色々言われてたので、やっぱり真に受ける部分も、ていうか、もうね、抵抗できないんですよ。あまりにも浴びせられていると、だんだん自分がそうかもしれないと思うようになっちゃって。だからなんかね、自分に自信がないというよりは、根拠なく自分は馬鹿だと心から思い込む精神状態だったんですね。
 でも、理性的に違うと思うわけですよ。バカって人に言ったらあかんやろみたいな、その、すごいそういう風に人を見下すものじゃないっていう、すごいストレートな自分の気持ちもあったので。だからそれに対抗するじゃないけど、いや、そんなことはない、私はできるみたいな、なんかこう、加害者との心の中の戦いが、ずっと自分をこうプッシュし続けたっていうのはあって、 やっぱり負けたくなかったんですよね、心の中の加害者に、で、もうその時点では何年も会ってなかったし、もうそれっきり会ってないんですけど、でも、 なんかシャドーボクシングですよね。

ナ:被害の記憶を抱えながら、どうすれば自らの道を歩く力を得られるのか。

小松原:私の性暴力のトラウマからの回復で1番辛かったのは、「回復していいことあんの?」っていうのがずっと思ってたんですよ。だから回復して、自分がその性暴力の被害体験から逃れられました。でも、加害者は別に何の責任も取らず、 私は苦労して日常生活を手に入れて、なんか「すごい損じゃんこの努力」って思ったんですよね。「マイナスになってそれを0に戻すための努力っていうのをなんで私がしないといけないの?」って、「それ加害者のせいでしょ、なんで?」っていう。しかもそれは、しなければ私が回復から逃げてるって言われる状況っていうのは、「え、なんかおかしくない?私が悪いの?」ってすごい思ってたんですね。
 性暴力の被害がなければ研究者になれたと思うんですけど、でも今みたいなものは書けなかったので、やっぱりそれはすごく否定的なものが働いて、それを跳ね返したいっていう戦いの中で生まれたものなので。ただ、そうすると、まるで被害があったことが良かったみたいになっちゃうから、そういう意味ではないので、なんかね、あの時のあれがあったからこそみたいな風には言えないんですけど、ない方がいいから。でも、なんかそれは抗いがたいというか。 
 で、それは自分に対しても思っていて、なんかトラウマがある、苦しい、ネガティブな怒りとか憎しみがある。で、それをなんか別の方向に向けたら、まあいいことがありそうと思うわけですよね。でも、そのいいことに向けるための、このなんかこう転轍機(てんてつき)って言うんですか、そういうものが欲しい欲しいと思って、ずっと研究してた部分はあって、それが研究だろうと私は直感的に思って、結構正解でよかったんですけど。
 それで、なんかウジウジとずっと研究というところにとどまって、これをなんか、でもね、やっぱりいい方向に生かしたいっていう気持ちはあったんじゃないですかね。なんかこう、創造的なものに持っていきたいみたいのは今もありますけどね、今もやっぱり、

取材者:「ただじゃ起き上がらないぞ」っていうのを聞きながら思ってたのと、なんか、最初に急いで聞こうとしたことがすごく納得しました。

小松原:そうですか。もう2度と性暴力は起きてほしくないんだけど、 なんかその時にセットで言われる性暴力被害を受けたらもう人生台無しみたいな言葉に、なんか若干やっぱり傷つくんですよね。「台無しになったんだよ、台無しになったけど、そう言ってほしくないとこもあるんやで」っていうのはちょっと思っていて。かといって、なんか性暴力の被害を受けたって生きていきますみたいなことが安易に言えないっていうのもわかってるから、なんかまあ、自分の中でちょっとモヤっとしちゃうんだけど、でも難しいです。性暴力の被害がなかったらなって今も思うし、本当にそれが切実に迫ってくる夜とかもあって、なんかもう、こんなの、「自分の人生、性暴力の被害さえなければ、こんなんじゃなかった」って、すごい思う日は今でもあるんですよ。だから、すごい矛盾してるんですけど、でもね、なんか、被害があったって、私の人生、まあまあ帳尻合わせたらプラスの方が多いわなって思うこともあるし、なんかそれはすごい矛盾で、日によって違うけど、でもまあね、あんましこう、1つにならないんですけど答えが。

取材者:すごくなんか聞きたかったことを今日たくさん聞かせてもらったなと思います。

ナ:哲学研究者小松原織香さん、答えのない人生を今日も歩んでいる。

当事者は嘘をつく (単行本)

性暴力と修復的司法 (RJ叢書10)