eraoftheheart

NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」の文字起こしです

2023/1/22 アーカイブ 言葉の力、生きる力

松居直:児童文学者

松居:言葉って目に見えないものです。活字になってるから見えるように錯覚するだけなんですが、言葉は目に見えない。
 ところが 言葉を聞いていると、目に見える世界ができるわけです。昔話はそうです、昔話は冊子はなかったんです、語られただけです、でも聞いてると、桃太郎の世界が見えてくるわけですね。言葉ってのは目に見えないのに、ちゃんと見える世界を作っていくわけです。
 そして、言葉が見える世界を作らなければ、子どもたちは入っていけないんです。だから、目に見えるように書くっていうのは、これは児童文学の鉄則なんですよ。しかも、人間にとって大切なものってのは大体目に見えないんですよね。幸せも見えませんし、心も見えませんし、愛も見えませんし、と星の王子様が言ってますけど。肝心なものは目に見えないっていう、大切なものは見えないって、星の王子様は言ってます。本当にその通りだと思います。
 ところが目に見えるように、サン・テグジュペリは書いてるから、星の王子様は僕に見えるんですよ、目に見えるように書いてますよあれは、見事ですよ。

ナレーター(以下「ナ」という):戦後の日本に創作絵本を根付かせた松居直さん、福音館書店の編集者として、絵本の世界を切り開く仕事を手掛けてきました。今も読み継がれる「スーホの白い馬」や「ぐりとぐら」などの作品は45年前、松居さんが創刊した月刊絵本「こどものとも」から生まれました。
 当時はまだ珍しかった創作物語の絵本を毎月出版するという画期的な試み、バラエティに富んだ作家と画家の組み合わせで生まれる絵本は、現在546号を数えています。絵と言葉が一体となって作り出す生き生きとした世界を松居さんの絵本は目指してきました。

松居:私は絵本っていうのは、子どもに読んである本だっていうことを子どもに読ませる本ではなくて、大人が子どもに読んでやる本だということを主張してきましたし、それが編集方針ですから、そうしますと、子どもが目で絵を読んでいて、耳で言葉を、読んでもらう言葉を聞いて、そして、それが子どもの中でどういう風に1つになって、どんな世界ができるか、どんな物語の世界ができるかってことをかなり強く意識して仕事をしてきました。

取材者:子どもが絵を読んで、そして、大人がそれを文字を

松居:テキストを読みますね。それが子どもの中で1つになるんです、子どもは絵を見るわけですけれども、絵は全部言葉ですからね。おじいさんが描いてあれば、おじいさんっていうことですから。クマが描いてあれば、クマさんってことで。それを子どもは自分で絵を読みますね、そして、耳で読んでもらった物語を聞きます。そうすると、その耳から聞いた言葉が、絵を動かしてくれるんですよ。絵本の絵は、静止画で動きませんけれども、子どもが見てる絵の世界ってのは動いてるんです。おじいさんがカブを引っ張ったりするのがちゃんと見えてるわけですね。それは、言葉がどんどん絵を動かしていく、それを子どもは無意識のうちに1つにして、物語の世界を描いていくわけですね、それが絵本体験なんです。

取材者:それはあれですか、松居さんご自身の絵本体験っていうなものに基づいてるところもあるんですか?

松居:そうですね、私は絵本というのは、子どもに読んでやる本だ、大人が子どもに読んでやる本だという風にかなりはっきり意識したのは、やっぱり自分の幼児体験って言いますか、絵本体験が幼稚園の頃ですけれども、母が読んでくれたわけですから、忙しい人でしたけれど、商家の女将さんでね。それでも、1週間に2日ぐらいは寝かせるために読むわけですよね。母親と一緒にいる時間なんか滅多にないですから、そして、 読んでもらうってことはものすごく嬉しいことです。で、私の母は僕が読んでってとこ読むんですよ、何度でも読んでくれる、要するに早く寝りゃいいんですから、子どもが喜ぶことやってやれば早く寝ると思ってる。ところが、こっちは1番読んでもらいたいとところを読んでくれって言ってますから、そう用意には寝ませんよね。大体読み手の方が寝ます、で、また起こして読んでもらってということがありましたから。
 読んでもらいますと、最初は見ているわけですね、それがこう生き生きと、なんか、なんていうのかな、本当に迫ってくるんですよ、そして、その世界へ入っていけるんですよね。

ナ:松居さんが母に読んでもらったという思い出の本は現在、大阪国際児童文学館に収蔵されています。特別に見せていただきました。
 「コドモノクニ」は、大正11年に創刊され、昭和19年まで続いた子ども向けの絵雑誌でした。大正デモクラシーの高揚の中、欧米の新しい文化や教育の思想を基に作られた画期的なものでした。
 厚手の紙に5色刷りで作られた絵雑誌は、当時の子ども向けの本の常識を破る立派なものでした。
 「コドモノクニ」には北原白秋西条八十などの詩人が童謡を発表し、武井武雄、清水良雄など、当時一線で活躍したモダニズムの画家が絵を描いていました。子どもにこそ、本物の文学と芸術をという志に貫かれたものでした。

松居:読んでもらった記憶がふっとよみあがってくると聞こえてくるような気がするんです、母の声が。これはね、歌ってくれたかもしれません、このメロディーがあったんですよ 。これは台湾の話ですよね。「ペタコ」っていう言葉が面白かった、そんな鳥がいるっていうんですよね。これが「ペタコ」、しょっちゅうこれを読んでもらったんですよ。

ナ:本物の芸術として描かれた絵と母の声で聞いた美しい言葉、それが一体となった時、 吸い込まれるように絵本の世界に入っていった記憶、それが、生涯松居さんの絵本作りの信念を支えることになりました。

松居:これはもう絵本っていうのは読んでもらうに限る。ですから、字が読めても、子どもたちに読んでやらないといけない。学校、小学校の子どもたちでも中学生でも高校生でもいいんですよ、大学生でも喜ぶんですから。
 しかし、子どもでも、字が読める子どもでも自分で読みますと文章を読んで絵を読むか、あるいは絵を先読んどいて文章を読むか、どうしてもその2つの世界が隙間ができてくる。それを自分の中で1つにするってのは、これは相当な熟練を要する作業です。

取材者:そうすると、耳で聞いて、それでこうある雰囲気というか、世界があり、なおかつ絵でまた世界ができて、なんていうか、その子どもの中で立体的に形、世界が、

松居:物語世界ができるのは、その2つを同時に体験しないと、絵の言葉と、それから文章の言葉とそれを全く同時に体験しますと、本当に生き生きしたこの本の何倍も生き生きした世界ができるんですよ。ですから、 絵本は読んでもらわな限る。

取材者:それはその絵本体験っていう言葉で、

松居:私はそう言ってるんですね。絵本を体験、絵本の物語を体験する。

取材者:つまり読んだっていうこと、見たっていうのではなくて、その子どもの中にあるこう変ですけど、実感する世界として、確かにイメージの世界なんだけど、何かこう体験するものとして入っていく世界。

松居:面白い世界があって、それがまあ大人からすれば空想の世界ですけれども、そこにぱって入ってしまうと、動物と自由に口がきけるし、 それから誰か不思議な人がいるわけですよね。
 私でも子どもの時、例えば「ドリトル先生」なんか読んでると、もうそっちにぱっと入ってしまって、動物の言葉なんでもわかるお医者さんってのは、もうこれはすごいですよ。

取材者:そういう世界を持ってると何かとてもこう子どもも楽しくっていうか、自分の世界っていうか、充実した世界というか、それを自らこう体験してる感じになるんでしょうか。

松居:その非日常の世界に入って、いろんな体験をすると、逆に戻ってきますよね、戻ってきた時に、日常の世界が見える。日常の世界で、いろんな出来事がある、そのことのなんか本質って言いますかね、真実みたいなものが見えるという風に私は感じるんです。

ナ:松居さん5歳の時に満州事変が勃発。19歳になるまで日本は戦争の時代を突き進みました。2人の兄は戦死、もう1人の兄も、勤労動員の時に患った結核で命を落としました。 
 母に読んでもらっていた子ども向けの絵雑誌も、戦争の激化とともに次々と廃刊に追い込まれていきました。

松居:小学校へ入ってから学校教育を受けますから、日本のこれは国家主義的な学校教育っていうのは、体制がしっかりできてましたから、そん中でいろんな言葉を体験するんですけれども。でも、幼稚園の頃に聞いたその生き生きした言葉の世界ってのは、あんまり国語の教科書でもなかったですよね。
 まず、「サイタサイタ、サクラガサイタ」ってのは1年生の時に習ったわけですけども、サクラと読本の1番最初に使った世代ですから、それでも違うんですよね。その言葉、教科書の中の言葉の力と子どもの時に聞いた言葉の本当に生き生きした喜びというのと、言葉って喜びですからね。でも、学校ではそんな喜びの言葉なんかってあんまり出てこなくて、あるいはステレオタイプな言葉が出てくるわけですよ。

取材者:でも、正にそのスローガン的な言葉で氾濫していた。

松居:ちょうど小学校、中学校、5歳の時か満州事件ですから、15年戦争がそれからずっと続くんで、ほとんど戦争の間に育ったわけです。そして、いろんなそうですね、スローガン的な言葉が 溢れておりましたしね、そん中でそういう言葉を聞いて、そして、学校で教えられることは、国のために死ぬっていうことですよね。
 なんのために死ぬのかってことを本当に納得したかった。それは学校でおっしゃられることは、国のために死ぬとか、天皇のために死ぬとかってことをおっしゃられますけれども、 それは理屈としてはわかりますけどね、実感として命をなくすわけですから、本当に何の意味があるのかってことを知りたかった。それで私は当時のかなりの少年がそうだったと思いますけれども、日本の国としてのイデオロギー国粋主義とか、 そういったことの意味ってのを本当に知ろうと思って、一生懸命自分で勉強しました。
 日本の国学の本なんかは、本居宣長とか、平田篤実とか、会沢安とか、藤田東湖とか、そういう人の本はかなり読みました。そして、国粋主義的な歴史家としても、代表的だった秋山謙蔵の本はほとんど読みました。

取材者:で、その意味を、、、

松居:納得できませんでした。納得はできるんだけれども、なんかこう、共感ていうかな、そこまでいかないんですよ。まあ、理屈はそうでしょうねってことはわかるんですよ。しかし、それでことっと自分の気持ちが落ち着くとかね、琴線に触れるっていうな言葉はなかなかなかったですね。
 戦争中本当に天皇制の本を読みました。でも、やっぱり理屈はそうだろうねっていう、だけど、実感としてわかんないんですよね。

取材者:そうすると、その敗戦ということが起きて、まさにそういうこと一生懸命考えておられて、 その価値観みたいなものがこう崩れるというか、何かその

松居:まず、戦争が終わったってのはその放送で聞きました。その時にあんまり感慨なかったです私は。ああそうって感じだったんですよね。ところが何日間かしてね、戦争が終わったということは死ななくても良くなったってことですよね。もう死ななくてもいいんですよ、それもちっとも喜びではなかったんです。
 1番まいったのはね、死ななくてもいいってことは、生きていかなきゃいけないと。生きるってことは教えたことないですから18年間。死ぬってことは教えられましたけど、生きるってことは死ぬために生きるってことでしたから、ところが、死ななくても良くなったってことは生きるんですよ、生きるってことはどういうこと、それが私にとっては新しいな難問になりました。誰も教えてくれませんしそんなことは。
 たまたま。8月15日の3日か、4日後にいつも行ってる古本屋さん行きましたら、戦争中に並んでなかった本があったんですよ、たくさん並んでたんです。こんな本出てなかったよねと思ったその中に「大トルストイ全集24巻」があったんです。私は戦争中に徳富蘆花を読んでたもんですから、トルストイという名前は知ってた、徳富蘆花に非常に惹かれたんです。で、蘆花はトルストイを本当になんて言いますか、尊敬してましたでしょう。で、蘆花が尊敬してるトルストイってどういう人だろうと、そしたら、その全集があったんですよ。戦争中は隠されていたのかもしれないけど、私はすぐ家へ飛んで帰って、父親にあれ欲しいって言ったんですよ。親父は割合本の好きな人だったから、次の日に一緒についてきてくれました。
 そして、それを24巻を買って、風呂敷に積んで、2人で積んで帰りました。その晩から私は「戦争と平和」を読みました。昨日まで戦争で、今日は平和だ、平和なんか聞いたことありませんしね、平和っての言葉は口に出せませんから、戦争中は。でも、「戦争と平和」って小説があるわけですから、それを読み始めたんですよ、毎日毎日読んでました。買い出しの汽車の満員列車のデッキに座って読んでました。並んで切符を買う、その行列の立ったまま「戦争と平和」を読んでました。
 言葉の力を知りましたね。トルストイを読んでいて、本当にこう虚ろな言葉じゃなくて、スローガンじゃなくて、ステレオタイプの言葉ではなくて、本当にこう語りかけてくる言葉。もちろん、その中に思想があり、哲学があり、宗教、信仰があるわけですけれども、そういうものがこう言葉によって伝わってくるんだ。僕、読書っていうことの本質をその時に知ったのかもしれない。その本を書いた人の世界へこっちは入っていくわけですから。そうすると、本当に生かしてくれる言葉、命を与えてくれるような言葉ってのは、その中にあるように思いました。感じとしてですね。
ナ:1951年大学を卒業した松居さんは、金沢の書店福音館に就職しました。出版業を始めるため、編集社にと請われたのです。会社は、学習参考書の出版が成功して、東京に進出しました。ちょうど敗戦の混乱を抜け、子どもの教育や家庭生活に目が向き始めた時代でした。
 松居さんも、この頃初めて父親になりました。その年、1953年に新たな企画の雑誌を創刊しました。月刊「母の友」は、新しい時代の子どもの育て方を考える雑誌でした。児童心理学や医学の記事を掲載する一方、中心に据えたのは子どもたちに話して聞かせるお話を1日1話、1ヶ月分提供する企画でした。

松居:子どものことには興味を持ってました。それから、私が育った時代の子どもの育ち方と戦後、民主主義で平和で文化国家を作ろうと、何にもないところから、もう1度日本を皆もう1度作ろうと思ったわけです。 
 で、そん中で子どもの育て方っていうのも、戦前のはもうお手本にならないわけですよ。
で、アメリカからどんどんどんどん新しい心理学のことだとか、教育学のこととか、そういったことが入ってきますね。子どものその育ちのプロセスみたいなことも、ちょっと新しく 考えていかなければなりません。そんなところで、子どもに聞かせる1日1話というのを売り物にしながら、心理学のことだとか、子どもの健康の問題とか、そういうものを少しつけて、「母の友」という月間雑誌を作ったんです。
 意外にそれが受けたんですよ。みんなが迷っている、何か手がかりが欲しいと思ってるとこでしたから。で、それが割合に急激にずっと部数を増やした、増えていったところを、よその出版社さんが、なんか「母の友」というのが売りてるらしいってことを感づかれたらしくって、保育絵本とか、そういうものに、付録に非常に似たものお付けになったんです。もうそっくりだと思うものも、「お母さんの友」っていうのもありましたね。それには、さすがに僕はコチンてきましたけれども、そういうものをお作りになったもんですから、もうパタっと売り上げが止まってしまった。
 その時冗談半分ですけど、よそが絵本の付録に「母の友」をつけるんだったら、「母の友」の付録に絵本をつけようというなことを言ってたんですよ。で、「瓢箪から駒」みたいに、じゃあ、絵本やろうってことになったんです。

ナ:1956年創刊の「こどものとも」、創作物語の絵本を月刊で出すのは、世界でも例のない試みでした。
 30歳になったばかりの松居さんは、文学や美術の世界で活躍を始めていた新進の芸術家を訪ね、共に新しい絵本を作り出していきました。

取材者:これが創刊号ですよね。確かにこの絵もすごく綺麗、綺麗というか、こうイメージが広がる絵というか、いわゆる説明的な絵というのではない。

松居:いわゆる童画と言われている、絵本向けの絵とは違う。私は可愛らしい絵はいらないと思ってたんですよ。大人の方が見て可愛いなと思われるのは、本当に可愛いの?子どもから見てリアリティがあるのかどうか。子どもから見て、本当に美しいと思うのかどうかっていう疑問はまだ今でも持ってます。僕は、可愛い絵はあんまり好きじゃないんです。

取材者:可愛いじゃないと、なんという

松居:美しいのと、本当に何か本当のものが感じられるという、そういう本を作りたかった。子どもがそこに世界があって、そこへ入っていけるという、そういう本物の絵本と言いますか、それが作りたかったんです。

取材者:これ、毎月それで出ていくわけですね、これが。
松居:これは宮沢賢治をぜひやりたいと思って。で、宮沢賢治を書いてくださるんだったら茂田井武(もたいたけし)先生以外にはないと、もうこれも決めていましたので、茂田井先生に「セロ弾きのゴーシュ」をお願いをいたしました。これ茂田井先生の最後の作品です。これを書きになって、間もなく亡くなってしまいました。これ、病床でこれは描いてらっしゃったんですね。

取材者:毎号毎号こうなんか雰囲気が違うというか、

松居:全部絵描きさんを変えて、いろんな絵の良さを子どもたちに伝えたいと思いました。これはシートンですよね、動物物語を出したいと思って。これは、寺村輝夫さんの「王様シリーズ」の1番最初ですが、山中春雄さんは全く初めての絵本です。
 これは南極観測が始まる頃でしたから、どうしても社会性のある絵本を作りたいと、その頃あまり社会性のある絵本なかったですし、でも、子どもたちは現代に生きてるわけですから、今の問題を大切な問題を子どもたちにも伝えたいと思って南極へアザラシを主人公にしたお話を瀬田貞二さんに作っていただいて、「なんきょくへいった しろ」というのができたんです。西堀榮三郎先生に、色々アドバイスをいただきましたし、動物を主人公にすれば、やっぱり子どもに親しみが持たれるだろうということで、アザラシを主人公にしました。
 これは、日本の昔話の絵本っていうのは、それほど線後出ませんでしたので。ぜひ、昔話は子どもたちに伝えたいと思って、「てんぐのかくれみの」というのを選びまして、朝倉摂さんにお願いをしたんです。ちょうどこのスクリーントーンという画財が発売されたところでしたから、それを使っていますけれども。
 絵本ですから、文章が物語を語るって、これは当たり前のことです。ですが、絵が物語を語るってこと、絵で物語を語れる人ということになりますと、別に漫画家でもいいし、デザイナーでもいいし、日本画家でも油絵画家でも彫刻家でもいいわけです。この物語にこの人の絵をつけると、1番物語がよく表現されて、語れるかなっていう、そういったことを考えながら選んでいたんですね。
 当時の日本の絵本の世界っていいますのは、名作物語のダイジェスト版、いわゆる名作絵本って言われていたもの。それと、幼稚園、保育園でお使いになってる保育教材的な保育絵本だったんですね。本格的な物語絵本っていうのはちょうど出たばかりだったんです実は。それが「岩波の子どもの本」だったんです。「岩波の子どもの本」っていうのは、絵本というよりも、むしろ低学年向けの読み物としてお出しになったんじゃないかと思いますけれども、しかし、それは絵本を翻訳して日本で出されたわけですね。それを見た時にびっくりしたんです私は、私もそういう絵本見たことないんです。オリジナルなっていうか、創作の物語に非常に素晴らしい絵がつけてある、これが絵本かっていう風に、「岩波の子どもの本」を手にした時に思いました。

取材者:これをそのお子さんに読んで差し上げていてどう

松居:1番最初は7ヶ月ぐらいから、子どもが1人で本を見ていましたんでね、絵本がたまたまありましたから、こんな小さな子どもが本を見るのかって、私はびっくりしたんです。で、7、8、9、10ぐらいの時からそんなに絵本興味があるんだったら読んでやろうかと思って、膝に抱いて読んでやりました。わかってんのかわからないのか、それはまだ新米な父親にはわかりませんけども、でも、最後まで聞くんですよね、そうすると、やっぱりわかってるのかなと思います。こんなのが、こんな小さな子どもわかるのかしらと、それで、私は自分の児童文学のに対する考え方ってのは、何にもわかってないんじゃなという風に思ったんです。
 つまり、子どもの児童文学ってのは子どもの文学ですね、ところが日本の伝統をよく見てみますと、大人が子どもに言いたいことを童話という形で表現してるんですよ。つまり、大人の感覚で書いてるんです。ところが、岩波の子どもの本をお出しになったのを見ますと、子どもの世界を本当によくわかっていて、子どもの気持ちがわかっていて、そして、こういう物語を子どもにしてやれば、本当に喜ぶだろうといったようなことがわかって、創作をしてらっしゃる
ということを感じました。

ナ:子どもの本とは何かがまだ手探りの時代、松居さんは創刊したばかりの「こどものとも」を持って、全国の幼稚園や保育園を歩きました。直接読者と話し合う経験が、その後の松居さんの財産となりました。

取材者:まだ、当時はそういう意味では、こういう絵本も草創期でしょうし、周りの理解はなかなか得られないとか

松居:得られません。売れなかったですよ、もうはっきりこれ商品ですから、売れないというところで出てまいりますでしょう。1番最初2万冊、創刊号は作ったんかな。売れたのは5,000冊で、後もう全部見本でさし上げました。幼稚園、保育園、こういう本を作りましたからという。2号ももうすでに作ってましたから。やっぱり売れなかったんで、残ったのは全部差し上げたりして。たった5,000部しか売れませんでした。
 1年ぐらい経った時にね、もう売れないからやめようという声が社内に出てたんです。で、私ももうこれだけ一生懸命やってれないんだったら、これやりようがないじゃないのと思って、僕はちょうど家でふて寝をしてましたサボって。もうどうしようもないという。そしたら、電話がかかってきたんです。会社から産経児童出版文化賞っていうのを、この「こどものとも」にくれる っていう話だけどっていうこと。その賞のことも知りませんでした。で、調べてみたら大変立派な賞なんですよね、そんな賞をくださるんだったらいただきましょうと、ところがいただいた以上は続けなければやめるわけにいかないねってことになって、それで、まず最初の難関をちょっとクリアして、で赤字でもいいから続けようと、 
みんな評価してくださるんだから。
 1番最初にわかってくださったのは、保育者の方何人かです。本当に素晴らしい保育者がいらして、こういうものを求めていたんだとおっしゃった方もあります。で、そういう方が子どもに読んでみると喜びますよっておっしゃるんです、実は、子どもが1番よくわかってくれたと思うんですね、そういうところから、これ、お母さんにもっと薦めましょうという風に言ってくださったりして、だんだん広がっていくわけですけれども。
 縦版の「こどものとも」だったのを、これが初めて横長にした本、最初の本なんです。横長にしますと、 絵がどんどん動くんですよ。

取材者:長くこう続いていく感じですね。

松居:どんどん絵が動くんです、連続性ってのは本当によく出る。

取材者:絵が動いていくんですね。お話も動いていくし。

松居:そのために、トラックを主人公にした本を作ったんですけど。車だったら動くだろうと。
 そして、やってみたら大成功だったんです、子どもが喜ぶんですよね。で、横長ですから、こう文章を縦に入れますと、非常に絵と合わなくなってくるんで、どうしても横に横書きにしてしまったんですね、絵本を横書きにして最初叱られましたよ私は。小学校の1年生の国語の教育書が縦書きなのに、どうして絵本を横書きにすんのかと、学校の先生からはよく言われました。でも、横にしないとこれ絵が動かないんです。今は絵本はほとんど横書きになってます。私はしてやったりと思ってますが。
 私は京都で育ちましたんで、たまたま本物の絵巻を見る機会が多くありました。戦争中、最大の絵巻物展っていうのを京都の国立の博物館でやってましたし、私自身中学生の時に絵巻に興味を持って、物語を絵で表現するっていうことが、本当に日本は豊かに伝統があるってことを知ったんですね。
 例えば、「鳥獣戯画」というのを見ますね。あれ色ついてないですよね、白黒なんです。それでも見事に物語を語ってる。ですから、私はアメリカの白黒の絵本を見た時に、これはこれでいけるよと、色がなくたって、子どもはちょっと物語を読めるんです。
 そういう絵巻物をかなりたくさん本物を見てましたので、日本の物語への伝統っていうのは、どれほど豊かかってことは薄々感じていたんです。その絵巻の連続性ってのは、とっても見事なもんだっていうことで、横にした時に、それを活かしたかったんです。これは、絵巻と同じだと、絵巻の手法をうまく取り入れれば良い本ができるだろうという風に思いました。 
 特にこれはそれを意識しました。日本の昔話ですから、それで絵のスタイルも大和絵風になってるんです。これは、もう明らかにこういう風になっていて、特に橋がこういうところはもう絵巻の画面にそっくり。赤羽先生、赤羽末吉先生が絵を描いてくださったんですが、この本を作る時は、絵巻のことを2人で一生懸命話し合いました。かなり長時間絵巻の特色、「信貴山縁起絵巻」がどういう風になってるかとか、あるいは「鳥獣戯画」がどうだとか、そういった日本の絵巻のこう表現方法ですね、それを話し合って生かそう。この中に生かそうということになりました。たまたまテキスト私は書きましたけれども、

取材者:「鳥獣戯画」風の白黒のところもそうですね。

松居:これは舞台裏を申し上げてしまうと制作費を節約するためなんです。もうその頃だってまだ楽ではありませんから、なるべく安く作ろうと思いました。そして、この色のついた場面と、白黒の画面が交互に出てくる時には、子どもたちは夢中になって、これをこの世界に入ってきますとね、全部色がついてるんです、子どもの世界の中には。今でも時々大人になった方に言われます。大人になって見たらこれ白黒の絵があった、子どもの時には全部絵がついてましたよって言われたことがある。そういうの何冊かあります。どうしてあの絵を変えたんですかと。その方の中ではもう全部色がついてるんです。それは私はよくわかる、そのことも考えに入れて作ってましたから。

取材者:これ、松居さんが文章をお書きになってらっしゃるわけですけど、これ文章をお書きになる時、、、

松居:こういう日本の昔話の再話をする時でも創作は少しありますけども、私は必ずテープに吹き込んでみます自分の書いた原稿を、そして聞いてみるんです耳で、で文章を直していきます。子どもたちには読んでやるわけですから。だから、目で読んだ時と耳で聞いた時ととっても違うんです。
 ですから、自分の文章でも1度テープに吹き込んで、そして聞いてみますと、ここのところリズムが悪いとか、ここのところでイメージが切れてしまうとか、 自分では全部つながって書いたつもりなんです。ところが耳で聞くと、そうここは見えないねとかという、
そういうことに気がつきました。
 言葉というのは、目に見えないんだけれども、見える世界を作りますよね。そして、そこからいろんなものが生まれてくるわけです。絵だって、基本言葉があるだろうと私は思うんですね、言葉ってのは人類の歴史でもそうです。まず、誰かが語った、で、それを聞く人がいて、その次にそれを文字を発明して書いて読むという、書くということをやったわけですから、言葉の体験で1番大切なのは語り聞くっていうことです。声の言葉なんですよ。その声の言葉の耳から聞いて、言葉の世界へもうどんどんどんどん入っていく、昔話をお聞きになればお分かりになると思いますけど、昔話の語り手はただ語るだけですから、ところがちゃんと世界が見えてきますよね。そういう耳で聞いて、言葉の世界へ自由自在に出たり入ったり出たり入ったりする体験を持っていますと、文字というものを読んで、言葉を読んで、言葉の世界へ入っていくことができるんです。

取材者:それは松居さんはその絵本を作り始めた最初からそういう風に考えてやってらした?

松居:だんだんわかってきたんです。でも、耳で聞くってことがないと、字を読んでも、その文字になっている言葉が生きてこないと、本当に実感として感じられないってことは薄薄感じていました。

取材者:何かこう、大きな特別なご体験みたいな、

松居:はっきりそれを感じたのは、昔話を聞くようになってからです。日本に語り手が何人もいらっしゃいます。私は遠野の鈴木サツさんという方の語りを長いこと聞かせていただきました。200話語りですからね。そういう方の話を聞いていますと、僕の中に生き生きと物語の世界が見えてきますよね。で、言葉ってものの、本当に力ってすごいっていう風に思うようになりました。
 その遠野の鈴木サツさんという語り手がおっしゃったんですけれども、サツさんは、お父さんから小学校の5年生まで、昔話は大体聞いてるんです。それ以後はもうほとんど聞いてないんです。サチさんがある時に語っている父の中には、絵が見えていたと思いますとおっしゃった。それが、自分の方に言葉と一緒に伝わってきて、自分の中に世界が見えるようになった。ですから、表情だとか、声の調子とか、そういうものを全部トータルして、お父さんの中に見えていた絵がサツさんにわかったんですね。
 だから、サツさん語る時に、言葉で語るんではないというようなニュアンスのことをおっしゃったんです。自分に見えている世界を言葉にするんだって。ですから、200話語れるんですよ。

取材者:文字として覚えてるんではないってことですね。

松居:言葉を覚えてるんじゃないんです。その物語を自分の体験として持ってるから、今度は「一寸法師」の話をしようかと思うと、一寸法師の世界が見えてくる、それを言葉にしてる。時々話し方が違うわよねと思うことがあります。

取材者:そうすると、それを文字にすると単なる文字になってしまう。

松居:まあ文字にうちでしましたけれども189話は。でも、それを読んだ人が本当に豊かな言葉の体験と昔話を聞いた体験なんかがあれば、サツさんの世界をもう一度想像することができるんですね。

取材者:それがないと

松居:ないと、まあ、そういう話かということで、おしまいになってしまう。
 聞くっていうのは、その自分の中にイメージを働かせるということが聞くということですから、ただ、言葉を聞いてるだけじゃなくって、そういうことが多いですけれど、その語ってる人の気持ちだとか、語ってる人のどういう風なイメージを描いて語ってるのかってことは、それがちゃんと聞ければ、これは聞けるということだと、聞くということだと。
 文字を発明したのはせいぜいで4,000年、言葉は何万年前からだと思いますから、長い間話、聞くという言葉しかなかった。そこへ文字という声の言葉、文化だったのが、文字の文化になってしまう、そして、ものすごく豊かになった面と、貧しくなった面があるんです。豊かになった面はそれでいいんです。 ただ、貧しくなった面を補っていかないと、子どもの育ちに関わってくる。それが、とても気になってるんです。
 字は読めても本が読めないです。字を読んで、本を読んで、その言葉の世界にどれほど深く入り込んでいくかってことが読書です。だから今の子どもたちも同じことです。

取材者:聞いた言葉で自分の中にイメージを作るようなことが持ってないと、その今おっしゃってる、例えば、大人になっても本が読めないような、、、

松居:読めないです、字を読むというのは技術ですから。字を読むという技術を駆使して、言葉の世界へ入るということが読書ですから。字を読むってことは、みんな技術は持ってるんです。ところが、言葉の世界へ入って、もうどんどん入っていくという体験を持ってないもんですから、そこで立ち止まってしまう。それが今、子どもの体験の中に決定的にかけてるんじゃないでしょうか。早くから字を教えて読むということを主にしますでしょう。聞くことの方がはるかに大切。
 怖いことだとか、悲しいことだとか、心が痛むということだとか、それから憎むということだとか、あるいはまた、妬むということだとか、そういう人間の感情がありますでしょう、人間のそういう悪だとかですね、痛みだとか、恐れだとか、悲しみだとか。一方で勇気だとか、愛だとか、そういうことは素晴らしいことはありますけど、その人間の両面っていうのは物語にほとんど語られてます。1番昔話によく語られています。
 昔話の中には残酷なのいっぱい出てきます。怖いのもいっぱいあります、面白いのもありますけれども、そういうものを物語として体験していれば、それを聞いてる子どもたちは、怖いと思ったり、時にはこれはかわいそうじゃないのと思ったりしますでしょう。そうすると、反発をしたり、憤りを感じたりという心の動かし方が、動かしますよね心を、その時に、本当に豊かに子どもたちの内面が育っていくんだろうと思うんですよ、それが物語体験。 例えば「3びきのこぶた」っていう話の1番最後は仲良くしたりしますよね、狼と仲良くしたりします。そんなことしたらダメですよ。狼と仲良くしても、狼はまたやってきますよ、だって、狼は豚が食べたいんですから。でも本当はイギリスで語られていた「3びきのこぶた」っていうのは、 1番最後の、1番目の豚さんと2番目の豚さんが食べられて、3番目の豚タさんはレンガの家に住んでいて食べられなくって、狼が家の中に入ってくると、その狼を沸騰しているお鍋の中に落として、蓋をして、ことこと煮て、晩御飯に食べてしまいましたっていうこれがイギリスの昔話です。びっくりしますけど子どもは最初、でも本当に面白そうに笑います。してやったりっていうことですよ。怖い狼はもう絶対出てこないんですから、めでたしめでたしです。

取材者:それをなんか、そんな残酷に鍋に入れちゃいけないとかっていうのは、それは大人が勝手に思う、、、

松居:大人がそう考えるんです。
 ですから、子どもは残酷なことも悪いこともな知らないんです。悪っていうことを知らないんじゃないですかね、悪を知らなければ善だとか、そんなことはわかりません。両面ですから、必ず両面ですから。

取材者:大人たちは私も含めてですけど、例えばすごい残酷なこととか、そういうその例え物語の世界でも、それがその現実と混同してしまうんじゃないかと逆に思ったりして、その残酷なところをかえってカットしてしまったり。
松居:昔話はちゃんと1番最初に「むかしむかしあるところに」って語るんです。これは昔話の鉄則です。これは話だよってことをちゃんと現実のニュースとは違うんです、これはお話よってことで、「むかしむかしあるところに」っていうふうに語り出すんです。これ、世界的にそうですよね、つまり、子どもをものすごく信頼してるんです昔の人は、これはお話だよってことをちゃんと最初に言っといて、最後に結末の言葉をつけますよね。これでお話はおしまいなのよっていうことで、子どもたちはこれはお話だなってことで聞くんです。
 そこのその現実と物語とフィクションと現実のけじめってのは、子どもはちゃんとできるんです。どうして大人はそれを信頼できないのかな、子どもを信頼してない、子どもって信頼されると、ちゃんと応えるんですよ。
 どんな怖い話でもですね、お母さんが語ったら子どもは安心して聞いてますよ、 お母さんいるんですから。怖い話を怖いと思いながら、済んだらちゃんとお母さん横にいるわけですから。あーよかったと思いますよね。そういう体験が大切で、だから、絵本読んでやるのも1番いいのは、お母さんとお父さんです。怖い話だって、お父さんいれば絶対大丈夫ですからね、子どもは安心して怖がってますよね、 安心して悲しがってます。
 それから、喜びの言葉ってのは残るんですよね。その言葉を聞いたり読んだりして、本当に共感したり、感動したり、まず喜びを自分の心も本当に動いて喜びを感じるような言葉の世界というのはいつまでも残るんです。ですから、今でもその母親が読んでくれた絵本の言葉の世界を覚えてるわけですよね。
 言葉を本当に豊かに持つってことは、生きていく力だと私は思います。それを子どもたちに、子どもの時代にちゃんと体験してほしいですよ。言葉ってのはこんな不思議な力を持ってる、こんな楽しいものって、こんな面白いものだと、そういう言葉を豊かに体験していれば、子どもはやっぱり新しいものを作っていくだろうと思うし、そして、生きるってことも作ることと同じですから、生きていく力を持つだろうと思うんですよね。そのために、子どもの本っていうのを 作りたい。

ナ:松居さんは今、新しい絵本作りに取り組んでいます。1,600年前、陶淵明が書いた「桃花源記」を題材にした作品です。
 編集者は唐亜明(たんあみん)さん、松居さんは文章を担当しています。絵は中国の女流画家、蔡皋(さいこう)さんが描きました。国際的な絵本の原画展にも入賞した実力の持ち主です。
 物語は川を遡って山奥に入った漁師が、桃の林の奥にある隠れ里、桃源郷に迷い込むというお話です。
 5年前、松居さんは物語の舞台とも言われる中国湖南省を訪ねました。唐さん、蔡皋さんと共に、人々が平和に暮らすという理想郷の面影を求めて山道を歩きました。 
 松居さんにとって、桃源郷は幼い頃の思い出にまつわる心にかかる場所でした。

『松居:子どもの時に、「武陵桃源」という掛け物、水墨画を見ていて、なんか小さな人間がその桃の林を越えて向こうの方へ山の中入っていくような絵があったんですよ私の家、春になるとその絵を親父が掛けたんです。
 僕はなんとなくファンタジーを感じたんです。その向こうに世界があるんだっていう風に思ってたんです、小学校の低学年の頃だけれども、これはなんという絵だって親父に聞いたら、「「武陵桃源」という絵だ」と言ったんですよ、意味もわかりませんけどね。 それは、意味を知ったのが、中学の3年生の時に漢文を習っていたら、陶淵明の「桃花源記」というのがあって、それを読んだ時に「この話か」ということで初めて知ったんです。それ以来、やっぱり陶淵明の「桃花源記」は、とっても好きな物語。
 私のもう1つの世界というのがあるということを感じた、非常に大きな体験だった。いつか、そういうのも絵本にしたいなとは思ってましたけど』
松居:少年時代に読んだ漢詩の思い出、壮大な風景を描いた水墨画、松居さんにとって、中国は常に好奇心を書き立てられる豊かな文化な国です。今、松居さんは絵本を通して、中国との交流を続けています。

『松居:やっぱり、中国と日本との間の戦争のいろんなこと歴史を考えますとね、中国の出版界が遅れてしまったという原因は戦争ですからね。十五年戦争、日中の。その侵略戦争のために中国の出版界はもう本当に遅れてしまうわけなんです。出版人として、やっぱりものすごくそのことを僕は感じました。もし、1920年代のままいってれば、おそらくアジアの出版の中心は上海か北京だったかもしれません。本当にいい仕事をしてらっしゃったんです。
 特に「小朋友」という雑誌は見事な雑誌ですけれどね。魯迅も関わりを持ってたような雑誌で大変レベルの高いものです。それはそういうこと考えるとほっとけませんよ、お隣の人、お隣の人のために働かないと、聖書にそう書いてありますから』

 

私のことば体験 (福音館の単行本)

桃源郷ものがたり (世界傑作絵本シリーズ)

絵本・ことばのよろこび

松居直講演録 こども・えほん・おとな (「絵本で子育て」叢書)

言葉の力 人間の力