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NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」の文字起こしです

2022/4/17 歎異抄にであう シリーズ 無宗教からの扉(1) 「”無宗教”から開く”大きな物語”」

阿満利麿:宗教学者 明治学院大学名誉教授

ききて(ディレクター):鎌倉英也、池座雅之

 

ナレーター(以下「ナ」という):自然豊かな山懐に抱かれた京都、鹿ケ谷。法然院鎌倉時代の僧侶法然が草庵を結んだというこの地にあります。法然院では宗教や宗派を問わず仏教を学ぼうとする人々が定期的に集まり学習会を開いています。
 宗教学者阿満利麿さん。京都大学で哲学を学んだ後、法然親鸞の仏教思想や日本人が持つ独特の宗教観について研究を重ねてきました。

 『阿満(学習会):”問い”があって”答え”がない”問い”だけが我々を苦しめるというそういう中で我々は生きて新でいかなくちゃいけない。
 我々は賢いようだけれど愚か、未完成な存在、己が完全な存在だと思っている人は宗教は関係ない。「大きな物語」が人間に必要なのは人間が未完成だから、そういう人間のために非常に優れた先輩方がその道を突破する道を「大きな物語」として残してくれた。それが「阿弥陀仏の物語」、「大きな物語」の1つですね。』

 
 この日阿満さんが取り上げた仏教書は、鎌倉時代に書かれたといわれる「歎異抄」。そこには「南無阿弥陀仏」という念仏を称えるだけで全ての人が救われるという「専修念仏」の教えが息づいています。それは法然から親鸞へと受け継がれ、更に親鸞の門弟となった唯円が師の言葉を記録することで「専修念仏」の思想の真髄を伝えようとしました。

 「歎異抄」には特定の宗教を持たないいわゆる「無宗教」の人達が抱く宗教への疑問に答えるヒントがちりばめられている。阿満さんは「歎異抄」が無宗教からの扉になると考えてきました。

 

鎌倉(以下「鎌」という):きょうから半年にわたって毎月1回合計で6回になりますけれども「歎異抄」という書物をひもといていきたいと思うんですけれども、よろしくお願いいたします。

 

阿満(以下「阿」という):「歎異抄」は13世紀の書物ですね。何よりも「歎異抄」の魅力というのは、法然の説いたその「専修念仏」の教えの最も大事な点は何かということを端的に示しているということですね。やっぱり法然の「専修念仏」の教えというものを受け継いできた、その受け継いできた者として唯円という人が親鸞から聞いた耳底に留まる言葉を大事にして生きていきたいというそういうふうな思いで満ちてる本でありますけど。
 親鸞法然さんより40歳若いんですね、で更に親鸞唯円との間はですね50歳も違うわけです、ということはこの「歎異抄」の中の話というのは、その法然という人が「専修念仏」を宣言してからほぼ100年後の書物だということですね。

 

鎌:今、「専修念仏」というお話がありましたけれども「専修念仏」という言葉に関してはですね、どのように理解したらよろしいでしょうか。

 

阿:「専修」というのは「専ら」「修める」と書きますね、それは何を専ら修めるかっていったら念仏だけを専ら修めるんですね。この仏教というのは非常に多面的な修行がありまして、そういう修行を一つ一つこなしながら段階を踏んでこの悟りへの道を歩むと、その修行をするためには出家という形をとらないといけない。そうすると出家できない人は捨てられていくという、見捨てられていくということに大いに疑問を感じられてですね、つまり一般大衆が置き去りにされるという問題ですね。で、法然さんという人は、仏教というのは全ての命ある人々にその恩恵をもたらすことができる宗教であるはずだという思いがあって、その結果、彼が見出したのは阿弥陀仏の名前を称える、つまり「南無阿弥陀仏」と称えるだけでその称えた人は将来必ずその悟りに到達することができるとそういう道を発見するわけですね。

 今までの仏教というのは色々なその修行をしなくちゃならなかったけれども、自分が発見したその本願念仏というのは念仏だけでいいわけですね。
 私は幸か不幸か西本願寺の末寺の長男に生まれておりまして、「将来お前はこの寺の跡をとるんだ」ということを言われて大きくなってきたものですから、「歎異抄」をひっくり返し色々読んできました。その中でやっぱり私が引っ掛かったのはですね、この火宅無常の世界、「火宅無常の世界はよろづのことみな空言戯言まことあることなきにただ念仏のみぞまことにておはします」とこういう文章があるんですね。世の中の一切はこれはまことあることがない、「空言」「戯言」であると、ただ念仏だけは「真実」だと、これは気になりましたね。
 特に高校生の頃というのは色気づいてくるじゃないですか、そうしてある人を好きになったり、その気持ちがねこれ「戯言」かと思うような経験をし始めるじゃないですか。そうするとますますね「ただ念仏のみぞまことにておはします」っていうのはこれただならぬ言葉ですね。これがず~っと私はその後念仏とは何かを問うていくその始まりですね。ずっとその後の私のテーマになりました。
 それからもう1つ、ある時、檀家の婦人が見えましてね、文句を言いに来られたんですね。大事な命日の日にですね、「住職が檀家参りに来てくれなかった」と、「来てもらわないと私は気色悪くて気色悪くて」って言ったんですよ。それがねまた私にはショックでね、自分が住職になるとしたら、檀家の方の気色を悪くしないようにするのが私の仕事なのかと。気色が悪いということとね、「ただ念仏のみぞまことにておはします」というのとこれどういう関係があるのかと。
 結局それで私は片方では民俗学的なつまり非仏教的な日本人の宗教心ですね宗教心のあり方に関心を持ち、片方では浄土仏教のこの教えというのはどういう構造になっているのかということ。この2つの方向に目配りしながら生きてこざるをえなかったという、そういうきっかけにもなっているわけですね。

 

ナ:阿満さんは歎異抄が伝える法然親鸞の仏教を研究する傍ら多くの日本人が抱く宗教についての考え方にも目を向けてきました。
 宗教を信じるか聞いた最新の日本人の意識調査によれば、74%の人が「信じていない、関心がない」と答え自らを無宗教だとしています。しかし一方で、「宗教的な心は大切か」問うと半数以上にあたる57%の人が「大切だ」と答えています。

『街頭での一般の方①:宗教的には無宗教だからね、自分であまり宗教というのは信用しないし信じてはいないけど、でもね仏さんを拝むね、それこそ先祖をね。知らず知らずのうちにそういう土壌が自分の中で出来上がっているんだと思う。
②:結婚式は教会で挙げて亡くなる時はお寺さんでとかね、なんかそういうところに今生きてますもんね。キリスト教の方とかすごい信心深い方もいらっしゃるしそれは尊敬するかな。
③:代々親から継いでくるもんじゃない、だから僕の場合は親父が浄土真宗だったから。辛い人生が40代後半ね、多かったよね。自分に打ち勝つためにね、そういう感じで自分に称えてた。
④:宗教、お葬式とかそういった時にしか意識しないですね、現状は。オウム真理教とかやっぱり知っているのでそういうのが過激なものっていう認識があるので怖いなっていうイメージがやっぱりそこからどうしても来ちゃうから。自分のスキルアップができる宗教があったら興味を持てそうだなとは思いますけどね。
無宗教って言っても、誰の言葉か忘れましたけど、「人は神的存在、信じるものがないと生きられない」と言ってる人がいる言葉は聞いたことがあります、本当そうだなと。生きていたら色んなことがある、自分の目の前に起きる出来事をしっかり受け入れてどういう意味があるのかを自分なりに意味を理解して解釈できる人ではいたいなと。意味がわからないから皆悩んでいると思うんですよ。神様がいるとしたら常に何が起きても「これはこういう意味があったからなんだよ」と理解できる人間でいさせてほしい。』

 阿満さんは人々の無宗教的なあり方を変えようと迫るのではなく、一人では解決できない大きな問題に突き当たった時、手を差し伸べようとするのが「歎異抄」のメッセージだと考えています。

阿:なぜですね歎異抄無宗教という立場から読もうとしてるのかというと、宗教は今の自分のあり方を全面的に入れ替えないといけないのではないかとかそういう予断がどうも一人歩きしてるんですね。しかし「歎異抄」に手に取って下さるとですね、少なくとも無宗教である自分の立場を帰る必要はないと無宗教のままでしかも次のステップアップへ進む道があるんだとそういうことが分かる。
 日本の多くの方は無宗教だと言いながら宗教心は大事だと、この「宗教」という言葉をもっと厳密に定義してみたらどうかと。で、宗教学の方で宗教を2つに分ける。1つは「創唱宗教」ですね、「創唱宗教」。もう1つを「自然宗教」というと。
 「自然宗教」というのはね、これは自然を崇拝するとかそういう意味ではなくて自然に成立したという意味ですね。小さい時から普通に暮らしていて年中行事とかしきたりとかを繰り返す中でいつの間にか身についてきたような宗教心ですね。生まれた時にはお宮さんにお宮参りに子供を連れていくし結婚をする時だけはどういうわけかキリスト教の教会でやると。死ぬとですねやっぱりお寺がいいというので仏式でやると。これは一体どういうことなのか、深い考えはないですね。こういうことが日本人の宗教心の大きな流れを作っているわけですね、それが「自然宗教」というものです。
 「創唱宗教」というのは、文字通り創造の「創」と「唱える」と書きますから、新しい教えを説いた教祖がいるわけですね。そしてその教祖の教えが教義として明らかになっていて、その教義を信奉する信者達が教団というものを作ると。そういうその教祖と教義と教団という3つが揃っている宗教のことを宗教学では「創唱宗教」というわけです。
 「自然宗教」という立場、つまり年中行事とかしきたりで十分安心が得られるというそういう立場から言うとですね、なんかわざわざ難しい教えを聞いてその信者になるというふうなことが何か不自然な感じがするんでしょうね。なんか宗教には近づかない方がいいというそういう雰囲気が大変強い。しかし、それはですね実は日本社会独特の理由があるということを是非知ってほしいですね。
 我々が「創唱宗教」に対して非常に距離感を持つというか「創唱宗教」に対して非常にこう用心をするのはなぜなのかという。それはですね、日本が明治維新以降日本が近代国家で出発しようとする時にどのような政治体制を作ろうとしたのか、ということに深い関係があるんですね。
 それは天皇を日本国家の中心にすると。そういう国家を作ろうとした人達が色々工夫をする。その中で私から言わせると「天皇教」と言ったらいい「創唱宗教」を作ろうとしたと言っていいと思うんですね。つまり「天皇教」というのはこれは国家の「掟」であって、他の「創唱宗教」、仏教にしろキリスト教にしろそういう「創唱宗教」はその「国家の掟の中で存在が許される」のであって、「天皇教」という国家宗教と作った井上毅という人は、キリスト教の存在は許してもいわゆる不況というものに関係するところは全部否定をしてですね、「内想」だけ許すと。内で思うことは許すけれども「外顕」外に現れてくる姿は禁じると。「内想は許すが外顕は禁じる」ということを非常に強く主張しまして、具体的には「聖書」を印刷するということは禁止する。それから信者達が集まる集会は禁止する。こういうようなことを言われるんですね。それで憲法を作る時に「安寧秩序を妨げない限り」とか「臣民の義務に違反しない限りでの信教の自由」なんだと、こういうような信教の自由の定義をしてですね、近代国家だから信教の自由は立てるけれどもそれはこういう制限付きだということを明治憲法で打ち立てるわけですね。
 だから近代日本の宗教政策の結果ですね、この「創唱宗教」をまともに評価するというそういう土俵が無くなったと。したがって宗教についての偏見というか近づかない方がいいという、そういうふうになっていったという歴史があると思いますね。

池座(以下「池」という):阿満さんがおっしゃるような無宗教的な、私自身まさにそういう宗教意識かなということを思ったんですけども。それがその自然にあるわけではなくて、明治期に国家によって作られたものとしてあったんだというところが非常に新鮮に感じたんですけれども。

 

阿:日本社会は、まあ近代社会というのは一般に宗教的なものの考え方を排除して成立していくと科学技術を中心にして社会を作っていくという、しかし、人間の持っている抱えている根本問題というのは解決できないんですよね。「人間は何のために生きているんですか」とコンピューターに入れても答えはないですよ。一人一人違うんですよね、人間は何のために生きてるか、つまり実験によって証明されるような真理だけでは人間は生きていけないんですよ。
 で、そこに「宗教」というものの役割があるんだけど、「宗教」って言葉が色々日本では手垢にまみれているので私はこの番組では使わずに「大きな物語」っていう言葉にしたいと思うんでありますけど。この「大きな物語」っていうものと出会うということは大事なんですが、この機会が中々日本社会にはないんですよね。
 例えばこういう話があるんです、私はある男性に会ってその人から聞かされたんですけど。彼はある時まあ幸せに暮らしていたんだけど、ある時子供がですね7歳くらいで亡くなったというんですね。その子供さんが亡くなったのを悲しんで、そのおばあさんが、つまり自分の母親がですねその日の内に亡くなっちゃったと。その男性から見ると自分の子供と自分の母親と同時に2つの棺を出すというそういう経験が生じたと。小さな棺と大きな棺を出すと。その時、初めて彼は本当に頼りになるものは何なのかと、そういう問いを持つようになった。
 その問いに対する答えは「自然宗教」の中では見出すのは難しいんですね。日常は私達は「小さな物語」をつなぎ合わせて暮らしているわけです。その都度役に立つような「小さな物語」をつなぎ合わせて暮らしているんですけど、「2つの棺をなぜ自分は出さざるをえなかったか」っていうのは、そこには答えはないですよ。
 「大きな物語」っていうのはですね、こういう人生で容易に解決できないそういう危機に面した私のあり方というものをいわばリセットして、私に新しい意味付けをしてくれる、そういう役割があるんですね。その「大きな物語」の特徴はですね、常識を超えたような時間とか空間軸から人間と世界のあり方を説明すると。
 これは妙な例えですけど、セミが夏鳴きますが、そのセミは夏の間しか知らないですね。で、私達はたまたま指揮を知っているからそのセミは短い期間だけしか知らないんだなとこういう評価をするんだけど、そういう我々もこの一生で人生が終わると思ってるのは、それはセミがですね夏しか生きていない、生きられないのと似たようなことですね。同じように人間の一生はもっと大きい目から見たらまた別の意味があるということも可能なわけですね。
 このように時間とか空間を拡大するとですね見えなかった問題が見えてくると、そこで「大きな物語」ですよ。宗教についての思い込みとか不信を解消するために「歎異抄」は有力な手がかりを与えるということの1つの例証として九条「歎異抄」九条のお話をちょっとしたいと思います。

ナ:「歎異抄」を貫く「大きな物語」、それは、阿弥陀仏が名号「南無阿弥陀仏」という自らの名前を称えた者を苦しみから解放された浄土の世界を導くという物語です。厳しい修行をおさめた僧侶や権力者、寄進ができる金持ちなど選ばれた者だけでなく、貧しい者や文字が読めない者、社会で虐げられた人々も遍く平等に名号を称えることだけで救われるとしたのです。
 阿弥陀仏はもともと法蔵という名の人間でした。彼は1人残らず全ての人々を救えるまでは仏にならないと誓い「本願」という厳しい願いを立てます。想像を絶する膨大な時間、悩み苦しんだ末に誰もが実行できる念仏への道を開きました。
 「歎異抄」の第九条にはそのような「大きな物語」が容易には納得できず、無宗教の人々が念仏について抱くような疑問が記されています。「歎異抄」の著者唯円がおよそ50歳年上の師、親鸞に悩みを打ち明ける場面です。

 『わたくしには念仏を申しましても躍り上がるような喜びの心はなかなか生まれませんし、また、急いで憧れの浄土へまいりたいという気持ちもないのです。いったいこれはどうしたことなのでしょうか』このように親鸞聖人に申し上げましたところ、親鸞聖人は次のように答えられました。『私も同じような疑いを抱いて今に至っています。あなたも同じだったのですね』
 親鸞は念仏を称え続けて高齢となった自分も唯円と同じ疑いから逃れられないと打ち明け、それは自分もまた煩悩を断ち切ることができない同じ愚かな者「凡夫」であるからだと言います。その上で念仏はそういう煩悩にとらわれた「凡夫」のためにこそあるのだと語りかけていきます。
 『急いで浄土へ生きたいというような心のないものを阿弥陀仏は特に憐れんでくださいます。それを思えばいよいよ阿弥陀仏の慈悲と誓願は頼もしく、私共の往生は決まっているとお考えください』。『天にも躍り上がり地にも跳び上がる喜びがあり、急いで浄土へ行きたいということではかえって煩悩がないのではないかと不審に思われるのではないでしょうか』

阿:これは普通は何か宗教的な行というか宗教的に良いことをしたらですね、何か喜びの心が生まれるはずだと思いますよ。しかし、一向にそういう気持ちは起こらんと、念仏をしたから直ちに喜びの心が生じるそんなことは起こらない。ましてや浄土に行きたいなんていうことは起こらない。それは親鸞によれば我々が「煩悩」に支配されているからだと。この「煩悩」についてはいろんな考え方がありますよ。貪(むさぼり)の心とか瞋(いかり)の心とか物事の正しい道理を知らないその癡(おろかさ)とかそういうものが「煩悩」というものだと。
 しかし、まあ私はですね、自分の考え方中心から免れることはできない、いろいろ聞いても結局は自分の考え方を中心に物事を見たり実行していくとそういうあり方から逃れられない、そういう状態を「煩悩」に縛られているということだと私は思います。特別に苦しみを持っていたり場闇を持ってる人だけが「煩悩」の虜になっているんじゃなくてごく普通の一般の人間もまた「煩悩」の虜なんだということが大事な点なんですね。
 だから、早く浄土に行きたいと思うよりはですね現実の暮らしの中でいかに楽をするかとかいうことに関心が集中しますよ、そういうその気持ちに支配されていると。一直線に純粋に浄土に向かって歩むなんてことはそれは思い込みであって、我々の人間の実情を見ればですねそんな簡単なものではないとそういうことだと思うんですね。だから浄土へ行く道の確信とその道を歩んでいく中で生じる不安とか揺れ動きとかというものをふたつながら認めていくということが法然の浄土仏教の特徴だと思うんですね。
 従来の仏教は「煩悩」は努力をして修行をすればそれはコントロールできるというふうに思っていたわけですね。それがいかに不可能であるかということに気づいて法然の仏教は生まれてくるわけですね。だから法然親鸞も自分の煩悩を克服できるなんてことはこっから先も考えていません。ですからこれは「徒然草」に引用されている法然上人の言葉として有名なものですけど、あるお弟子が法然上人に聞いたというんです。「自分は眠くてしょうがない」と、「お念仏をしていても眠くてしょうがなくてお念仏が途切れ途切れになってしまう」と、「どうしたらいいですか?」と法然上人に聞いたと。そうしたら法然上人は「眠ったらいいじゃないですか」と「眠たさがとれたら、また目が覚めたら念仏を続けなさい」と。
 また、こんなふうなことを言っていますよ、「疑いの気持ち、色々念仏を疑う気持ちがいっぱいあって、このお念仏をしていてもほんとに自分は浄土に行けるのかどうか不安だ」と。そうしたら「疑いながらも念仏をしたら浄土に行けますよ」と、「疑いはそのままに疑いのままに疑えばいいんです」と。

 

鎌:その「徒然草」の例でいいますと、法然の「一百四十五箇条問答」というのがございますね。それも非常にこう宗教というものが清く正しいものでなければならないという方々の問いに答えたものだというふうにお聞きしていますけれども。

阿:そうですね。当時は色々な仕事をする人の中に穢れの仕事というふうに言われている言われている仕事もたくさんあったわけですね。
 例えば、モノの命を取るというふうな仕事をせざるを得ないような人達に対してそれは穢れているというふうな言い方をして差別していたわけですね。そういうことに対してこういう穢れ、不浄とかそういうものは法然の仏教では一切問わないんだと。
 もっとその穢れでいえば女性の場合、「月のはばかりのある時にお経を読む、そういうことをしてもよろしいか?」とこういうことを女性が聞いているわけですね。そうすると法然上人は「そんなことは何のはばかりがありますか」と。「そういうことは問題にありません」と。
 そういうようなのは他にもまだたくさんありますけど何か安心するんですよ。法然の浄土仏教というのは、本願念仏というのは何か特別の身構えをして受け止めないといけないのかと思う必要はないんですね。「自分のありのままでそのままでよろしい」と。自分を改めなくちゃいけない、なんていうことになるとしんどくなるから遠ざかってしまいますけれども。そこが大事な点ですね。
 しかし変なことを言いますが、自分をあらた改めるようなそういう努力を要請するような宗教でないと自分は信じられません、という人もいるんですよ。努力をして自分を改めると自分はちょっと改まったなとそう思う、それを根拠に自分は救われていくんだと思いたい人もいるわけですね。しかし、それは人間の「煩悩」をちょっと軽く見すぎている。人間が自分の考えだけで真実に到達できるんだったら、こんなに人類始まって以来これだけの苦しみを何度も同じことを繰り返す戦争や飢饉や疫病の苦しみから逃れられないということをずっと続けて続けて今に至っている。こういうことはとっくの昔に克服できてるはずではないかと。
 ですから、自分の考えを入れ替えたら助かるというんではなくて、やっぱり真実の世界に到達するためには道というのが必要であって、その道として浄土仏教は阿弥陀仏の名を称えるという道を教えたわけですね。

 

ナ:念仏の教えを開いた法然から親鸞へ、そして親鸞の言葉を「歎異抄」に書き留めた唯円まで、その教えはどのように伝わっていったのでしょうか。
 法然法然の教えを受け継いだ親鸞ももとは当時の仏教の最高学府である比叡山で学問を修め厳しい修行を重ねた僧侶でした。
 9歳で比叡山に入った親鸞は20年間の修行を積んでも学んだことに心から納得することはできませんでした。比叡山から毎晩100日間にわたって京の都に通い六角堂にこもった親鸞は、やがて「法然のもとを訪ねよ」夢のお告げをうけます。親鸞はおよそ25年前に既に山を下り、京都の草庵で念仏の教えを説いていた法然に出会い、自らが歩むべき道を見出します。親鸞29歳、法然69歳のときでした。
 しかしその6年後、親鸞は越後へ、法然は土佐へそれぞれ流刑になります。時の権力者が戦乱や疫病に苦しむ人々の間で広がり始めた、身分や富に差別のない新しい仏教を警戒し弾圧したのです。
 都を追放された親鸞は流刑の地にも草庵を構え自らを「僧侶でもなく俗人でもない」として妻を娶り2人の子供をもうけるとともに、人々に念仏の教えを説いて回りました。
 4年後39歳で流刑を解かれた親鸞は都には戻らず新天地を関東に求めます。以後およそ20年間、還暦の頃に京都へ帰るまで常陸の国、現在の茨城県に根を下ろし、布教に努めました。
 親鸞がいかに人々の暮らしの中に息づく念仏を大切にしたか。それを物語る逸話も各地に残されています。

『農家の方:年だから、92にもなるんだ。親鸞聖人がそこへ松を植えたんだけど松は枯れちゃったんだよね。松があったんだ前は。昔のことだからね、来たんだと思うよ。』
 親鸞は農民と共に田んぼに入り稲を植え、阿弥陀仏の自人願いの言葉を織り込んだ田植え歌を作ってはみなに伝えたと言われます。「歎異抄」の著者と言われる唯円はこの地に暮らすそうした人々の1人でした。親鸞が流刑となり都を離れたことが巡り巡って唯円との出会いをもたらし、「歎異抄」を生むことになったのです。

 

阿:親鸞流罪で越後に流されますけれどもやっぱり法然の専修念仏というのが当時の支配者層にとって都合が悪いということがあったんでしょうね。
 なぜかというと法然が「浄土宗」というのを名乗るのはですね、国家の承認を受けずに名乗るんですね。で、そこは当時の諸宗教は天皇の勅許を得て成立しているというのに天皇の勅許を得るというのを全く無視して法然の浄土宗というのは成立すると。で、その理由は日本社会の最下層の人々を救おうと。それが法然の狙いだったと思いますね。
 で、そういう法然の専修念仏というのは歴史的に大変な弾圧を受けたわけですね。現代風に言えば、法然の専修念仏の反対側の極にあるのは政治、政治だということですね。政治と向き合うという現実の秩序を作っている政治的権力の在り様とは真正面からぶつかるというそういう宿命を持っている。
 それで「歎異抄」で大事な要素は、法然親鸞、それから主だった弟子が死刑ないし流罪に処せられたというそういう記録をですね「歎異抄」というのは後ろにくっつけているんですね。「流罪の記録」を持っているということはとても大事だと思うんですね。なぜ流罪ということが生じたのかということをそこで考えさせられるからだと思います。

 

鎌:そういった意味で現代の我々もその「歎異抄」っていうのが1つの重要なテキストになり得るっていうふうに考えてよろしいんでしょうか。

 

阿:そうだと思います。

 

池:今のお話の中でもう1つ「歎異抄」を書いた唯円の人物像について、それについてはいかがですか?

 

阿:実は唯円の人物像はほとんど分からないと言っていいと思います。
 報沸寺っていうお寺が茨城県水戸市にあるんですけれども、そこに伝わっているお話っていうのは、もともと唯円というのは相当な悪党だったそうです。その悪党であったけれども妻はですね、親鸞の信者であったというんですね。
 で、その親鸞の草庵に奥さんは通ってると。で、それを唯円はなんか嫉妬してですね、ある時怒りに任せて妻を殺してしまったというんですね。そして竹藪に埋めたというんです。ところが家に帰ってみるとその妻がいるじゃないですか。で、驚いて「じゃあ竹藪は、、、」と思って竹藪を掘り起こしたら、妻が親鸞から授かった「南無阿弥陀仏」と書いた名号の紙があったということで自らの悪行を悔いてですね親鸞に帰依したと。
 それはあくまでも伝承でしょう。しかし、私はこの「歎異抄」を見ますと、相当な求道心の持ち主だったと思いますね。

 

ナ:唯円はどのようにして「歎異抄」を綴るまでになったのでしょうか。水戸市にある報沸寺は唯円が開いた寺と言われます。そこには唯円親鸞に帰依するきっかけになったといわれる名号の札が伝えられていました。妻の身代わりになって唯円に切られたという名号です。

『報沸寺の住職:「帰命尽十万無碍光如来」、南無阿弥陀仏と同じ意味でございます。ちょっとよくわかりませんけど、傷が見えますけど「帰命」のこの「命」の下ですね。ここが袈裟懸けに切られた場所だと伝えられております。不思議ですね、今までこのようなものがずっとこう残ってるというのはね、ありがたいと思います』 

 

ナ:自らの愚かさと不明を恥じた唯円は、自分のようなものでも救われる道があることに衝撃を受け、親鸞のもとに日参し教えを請うようになりました。
 やがて唯円親鸞の高弟の1人となり、自らも草庵の道場を開いて人々に念仏の教えを広めようと努めました。
 報沸寺の近くに唯円の道場の跡が残されています。

『報沸寺の住職:ここに親鸞聖人がいらっしゃって、お話をなされたと地元の方々は伝えておりますね。お寺のもっと前に念仏道場が建てられたと、農民の方も多かったでしょうけども武士の方、商売なさる方とかね、皆様が集まりやすい道場を選んだんではなかろうかと』
 しかし、親鸞が京都に去った後、その教えを誤って伝える人達が出てきました。
『報沸寺の住職:親鸞聖人が(京都に)帰られてこちらで念仏の乱れが起こった時に、親鸞聖人の教えを正しく伝えようとした。「歎異抄」に出てくる動機によって念仏道場が作られたとも考えられる』

ナ:唯円親鸞の死後、かつて師と問答を重ねた日々を回想し、「歎異抄」に自らの記憶に残る親鸞の言葉を書き残そうとしました。その冒頭「序文」で唯円は執筆の動機を明らかにしています。

『私1人の思いですが、親鸞聖人から直にお聞きした真実の教えと異なる了解があるのを歎かざるを得ません。教えを正しく受け継いでゆくにあたって生まれている数々の障害を思うのです。
 幸いなことに縁あって優れた指導者に出遭うということがなければどうして本願念仏に帰依することができましょうか。全て自分の一人合点だけを頼りとして本願念仏の本旨を思い誤ってはならないのです。
 したがいまして、かつて親鸞聖人がお話くださいました御物語の要旨の今もって私の耳の底に留まりますところを記すのです。ひとえに心を同じくする人々の疑問を晴らすためなのです』

 

阿:「歎異抄」というのは、異なるを嘆く、という意味ですね。何が異なるかっていうと耳底に留まっている親鸞の教えとは遠い考え方が広まってしまったということを嘆くと。
 この唯円の基本的な立場というのは「自分は親鸞からこういうふうに教えを聞いてきた」と、で、「今仲間達が言っていることはこういうことなんだけど、それは親鸞から聞いたことと違いますね」と、「なぜこういう違いが生まれてきたんだろうか」ということを唯円自身も自分で尋ねてるわけですね。「それはお前は間違った道だからそれはけしからん、改めよ」というそういうふうにして説得にかかるというそういうふうな姿勢はあまり感じられませんね。他者を屈服させてまで信じさせよというふうなそういう姿勢とは基本的に違うんだと思います。
 ですからまず自分が親鸞から聞いた本願念仏の1番要になると思われているような、そういうふうに自分が聞き取ってきた内容を、この十条を最初に並べて、それとの対比で同じその専修念仏の信者だと言ってる人達の異なった考え方についての批判、八か条と。その合計十八条に「序文」があって十八条があって「結分」があって、そして最後に法然親鸞の「流罪の記録」をくっつけておくと。
 この「序文」の中で唯円が強調してるのは、「他力」というものを理解するためにはよき指導者あるいは先輩というのは不可欠だということを強調しているということですね。それは彼のこの「序文」の言葉でいうと『自見の覚悟を以て他力の宗旨を乱ることなかれ』という言葉に出ていますね。「自見の覚悟」というのはまあ独り善がりですよ。自分1人だけの考えで誤解すると言っていいでしょう。そういうことをしてはいけないと。
 なぜその先輩というかよき指導者が必要かというと、何せ「歎異抄」は「大きな物語」ですよ。「大きな物語」というのは常識を超えてつくられていますね。常識だけを基準にしていては絶対理解できませんよ、どうしても誤解が生じてくる。そこで何度も何度もその「大きな物語」を自分のものにしている先輩に質問をしてそこで議論をして、自分の常識的な考えが無力だということに気が付くということは大事なプロセスだと思いますね。

 

池:やっぱりこおうお互いに「凡夫」だという立場で理解していく時に、繰り返しやっぱりその親鸞法然に問うて納得をしていき、その唯円親鸞に問答を続けていって、そこを納得していくプロセスみたいなところがあるというのがひとつ「歎異抄」の特徴のように思ったんですけれども。

 

阿:それはとても大事な指摘で、それは現代の私達にも当てはまる問題なんです。
 人間が持っているそれぞれが感じている真実のイメージっていうのはありますから、そのイメージは皆それぞれ違うわけだけどぶつかり合うことで「ああこういうことが真実なんだ」ということを確認し合っていくという。だから最初から違う考えの人だというふうに決めてかかれば説得するとか説教するになってしまいますね。そうじゃなくて道筋が少々違うということを前提にして、しかしクロスする点があるとしたらそれは何なのかというふうな立場で議論をしていくことが大事で。だから「歎異抄」というのは歎くことはあっても相手を弾劾するということはないですね。
 異なった考えを持った人と対話をしながら対話をする中でその法然親鸞の教えの正統っていうか1番正しいことがはっきりしてくるし、そういうはっきろした教えに立つとまた間違いも見えてくるというふうになっていくでしょうから。1対1でやっぱり議論をしていくというプロセスが宗教の場合には不可欠ですね。

 

鎌:阿満先生あの「他力」のお話のところでいきますと、「他力本願」っていいますと私達にとっては「まあ誰かが救ってくれるんだから自分が努力しなくてもいい、自分は研鑽を積まなくてもいい」と解釈するっていう向きもあると思うんですが、ある種の「人任せ」というか「他の力任せ」っていうことの意味とはまた違うというふうに考えてよろしいんでしょうか?

 

阿:「他力」という言葉はなにか「他力本願」とかいう言葉で普通はあまりいい意味で使われませんね。自分が努力せずになにか適当にうまい汁を吸うような、そういうやり方を「他力本願」というふうな言い方をしますけどそれは相当な転用ですね。間違った転用というか本来の意味とは違うと。「阿弥陀仏の本願」という言葉に限定した「他力」ですね。
 ですから「自力」、「他力」の「他力」という言葉は法然親鸞の場合は非常にはっきりしているように「自力」が自分には似つかわしくないという、そういうその、まあ要は「実験」があったわけですね。自分の力で真実の世界をつくり上げていくという、そういうことに対する絶望が前提としてあるわけですね。
 しかし、私達は「自力を尽くす」ということをしきっているかというとそういうことをしていないわけですね。で、そういう人間に「自力」よりも「他力」だと言えば「他力」は安直な道っていうふうにしか受け止められない。自分で実際やってみてどうだったのかと、そういう「実験」をする期間があったかどうかですね。
 もっと言えばやっぱり私共が「自力」というものに絶望するという機会を何らかの形で経験しないとだめですね。ですからこの「歎異抄」というのは最終的には「念仏とは何か」ということを教えていて、その念仏を誤解する、その念仏を法然の教えの通りに理解するために妨げになるのはどういうことかということを色々教えていくというそういう構想になってるわけですね。
 この法然の専修念仏というのは教えとしては極めて簡単ですね。つまり「阿弥陀物の名を称えなさい」とそれだけなんですよ。その阿弥陀物は称名を通してその人の中にある真実になる願いを燃え立たせて、最終的に真実の世界に連れていくと。これがその法然の本願念仏のエキスですね。
 最初から分かる人は恐らくいないでしょう。それは人間の持っている不条理とかそういうものに対する疑いがまず生じてくる必要がある。疑いが生じてきてもそういうものを乗り越えるための工夫というのがね、人類は色んな形でそれは作ってきてますよ。「娯楽」っていうのはそういうものの最たるものですね。その忘却の中で段々と痛みも忘れていくというふうにして、そして生涯を終わっていくという生き方もあるわけですね。
 しかし、「小さな物語」では解決のしようのないようなことが起こった時にですね自分の持ってる根本的な問題というものから目を離すことができないという人も中にはいるわけです。
 1番最初に申し上げたように2つの棺を出さざるをえなかった方が「今まで自分とは関係がないと思ってきたけれども、この本願念仏の教えというものがグーッと近くなってきた」と言うんですね。ということは、私共は直接その「物語」に近づくか近づかないかは別にしてどこかでそういう「大きな物語」と接触できるチャンネルはあった方がいいと。
 私達は何か空虚だという思いがどこかにあるんですね。真実から遠いという意識は持つことができるんです。真実は何かということは中々分からんのですね、遠いという感覚だけはある。これがその「阿弥陀仏の物語」が我々に問いかけてくる問題じゃないでしょうかね。
 で、その「念仏」は無宗教の人間にとっても大きな真理への道の手がかりになるだろうということをお話したけれども、じゃあ具体的に「念仏を称える」ということはどういうふうにして真実の満ちにつながっていくのかということはこれから1つずつ押さえていく必要があって、「阿弥陀仏の物語」を、、、とは全く無縁にですね、「何か困った時に使う言葉くらいだ」というふうにして「念仏」を理解しているとその「念仏」は「呪術」になると。自分を棚上げにして自分の願望をこういう手段で実現しようという、そういう立場は呪術になるんですね。
 1番大きな違いは「自分を問うか、問わんか」なんです。自分を問う行為は「宗教」である。だから念仏をする中で自分が問われているかどうか。後の開設にはそういうことも考慮していきたいと思っています。


ナ:あなたはあなたのありのままでよい、疑いがあれば疑うまま念仏すればよい、誰にとっても生きることはたやすいことではない、そう説き続けた法然の仏教。
 この日の「歎異抄」学習会の最後は集まった人達による話し合いでした。

『参加者:私、法然院に通うようになって「南無阿弥陀仏」って言って、それで気持ちが落ち着くときもあるけれどもものすごく乱れることもあって、特にうちの母の介護やらウクライナの問題やら、コロナで学校は急行になるわ休園になるわで、孫をみたりなんだで本当にもうぐちゃぐちゃな状態で心穏やかに接しなきゃいけないと思うんですが結構きつく母に言ってしまったり、言った後にまた「なんで私ってこんなにあれなんやろ」ってすごく苦しいんですよね。
 でも今日聞いてほんとに良かったんです。「そんなに苦しまなくていいよ、今のあなたでお念仏称えたらいいんだよ」って法然さんの姿が浮かんだような気がしたんですよ、今日。 法然さんが、ほんまにいてくれたっていうか私にとっては必要なんです。』
 
 6回シリーズ、「歎異抄にであう、無宗教からの扉」、次回は「歎異抄」の核心とも言うべき念仏の教えがどのような論理によって誕生したのか。そこにはどんな仏教の思想が流れているのかを辿り、念仏とは何か考えてゆきます。

 

歎異抄 (岩波文庫)

無宗教からの『歎異抄』読解 (ちくま新書)

『歎異抄』講義 (ちくま学芸文庫)

歎異抄 (ちくま学芸文庫)

NHK「100分de名著」ブックス 歎異抄: 仏にわが身をゆだねよ;ホトケニミヲユダネヨ