2022/7/17 歎異抄にであう シリーズ 無宗教からの扉(4) 「他力をえらぶ」
阿満利麿:宗教学者 明治学院大学名誉教授
ききて(ディレクター):鎌倉英也、池座雅之
ナレーター(以下「ナ」という):「歎異抄」は700年前の鎌倉時代に書かれた仏教の古典です。そこに貫かれているのは、自力の力「自力」による悟りではなく、阿弥陀仏の本願の力によって悟りを手にしようという他力の思想。
法然が唱え、親鸞らが受け継いできたその教えを正しく伝えようと親鸞の門弟となった唯円が書き留めました。
他力の思想の中心にあるのは、阿弥陀仏の名前を称える「念仏」。「歎異抄」には現在の私達が抱くイメージとは、異なる念仏のあり方がつづられています。
『念仏をするたびに罪が滅ぶという考えは私たちが信じる念仏とは異なります。
私、親鸞は父母の追善供養のために念仏を申したことは一度もありません』
なぜ、このような言葉が「歎異抄」に書かれているのか。宗教学者の阿満利麿さんは、法然、親鸞の説いた本願念仏の思想を中心に据えながら日本人の宗教意識について研究してきました。
阿満(以下「阿」という):父母の孝養(供養)のために念仏をしないというのは一見我々の常識を逆なでするような言い方だけれども、逆に我々の常識が持っている危うさを教えている。
宗教というのは死者の世話をすることだとどうもなりがちで、生きている自分を問うという契機がどうも薄くなっている。
ナ:シリーズ「歎異抄にであう 無宗教からの扉」。第4回の今日は、本願念仏の核心にある「他力」とは何かをひもとき、他力を通じてみえてくる日本の宗教的風土について考えていきます。
ナ:「歎異抄」を貫く「他力」の思想、その「他力」について詳しく説かれているのが第十六条です。
『万事につけて浄土へ生まれるためには、すべて利口ぶらずにただ我を忘れて阿弥陀仏のご恩の深長であることを常に思い出すのがよいのです。そうすれば念仏も自然に口をついて出てくるようになるでしょう。これが阿弥陀仏のおのずからのはたらきです。
私があれこれと考えたり按配しないこと。それを「おのずから」と申すのです。それがとりもなおさず他力ということです』
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阿:普通の暮らしの中で「他力」というのはあんまり評判のいい言葉じゃございませんね。学校のテストなんかでですね、あんまり勉強もせずに適当にやりながら結果だけは欲しくてですねちょっと神様にお願いするとか。つまり、他力本願というのはどうも専ら他人をあてにする、ずるいとかですね、なんか丸投げであるとかそういうふうな意味であんまりいい意味には使われておりません。
しかし、それはこの「他力」という言葉は仏教の言葉なんですね。仏教の言葉である「他力」がだんだんとまあいわば変質してですね、今のような使われ方に至ったということだと思います。「他力」という言葉はですね、中国にインドから仏教が入ってきた時に中国の人達が工夫した言葉ですね。
ナ:今からおよそ2,500年前、ゴータマ・ブッダを開祖としインドで生まれた仏教。世俗を離れて出家し修行を重ねることで人間が苦しみから抜け出す、悟りを開こうとするものでした。
ブッダの死からおよそ500年が過ぎた紀元前後、その仏教の中から、出家者のみならず人々が遍く救われる道を説く新たな教え、「大乗仏教」が興ってきます。大乗とは「すべての人々が乗れる大きな乗り物」という意味。この教えは中国に伝わり発展してゆきました。
6世紀に活躍した中国の僧、曇鸞。彼は厳しい修行を重ねて自力で悟りを得ようとする道ではなく阿弥陀仏の本願の力、すなわち「他力」によって誰もが悟りを手にできる道を示します。これがやがて「歎異抄」でも説かれる浄土仏教の礎となりました。
阿:曇鸞という人は6世紀の前半に活躍をした高僧、偉いお坊さんで親鸞の「鸞」というのはこの曇鸞の「鸞」から来てるわけですけれども、その曇鸞さんはですね、当時の中国社会で普通に使われている「他力」という言葉に注目をされて、ちょうどその中国に入ってきた仏教の中で阿弥陀仏を中心とする新しい仏教ですね、その新しい仏教を仏教の中で位置づけるためにこの「他力」とか「自力」とかいう言葉を使われ始めたんですね。ですから、「他力」という言葉はこの仏教では当初から阿弥陀仏の本願の力という意味を鮮明に持っているわけです。
曇鸞がそれまでの部協を全部「自力」というふうに一括して新しい仏教を阿弥陀仏の信仰に基づく仏教を「他力」というふうに読んだ根本の理由はですね、全ての人が同じようにその仏教の実践ができるとは限らないというそういう問題があったわけですね。
で、私は「他力」の仏教が誰のための仏教かということを考える時にですね、面白い現象に気が付いたんです。というのは、日本にその浄土仏教を初めて詳細に紹介したのは源信僧都であります。で、源信僧都の「往生要集」というものが、日本の浄土仏教の原点みたいなものでありますけど。その源信さんはですね、自分のことを「頑魯(がんろ)」というふうに言ってるんですね。「頑」というのは、かたくなで自分の考えを変えない頑固のあの「頑」ですね。「魯」というのは、愚かなという意味です。
で、この源信さんというのは、比叡山の教団で始まって以来というくらい優秀な人だったんです。極めて優秀な人がね、自分のことを頑魯とこう言うんですよ。それから更に200年後、この源信さんから200年後に浄土宗というものを開かれた法然さん。法然上人もですね
比叡山の中ではまれに見る秀才と言われたわけですが、法然さんも自分のことを何と呼んでいるかというと愚癡の法然坊と、こう言うんですよ。愚癡っていうのは「愚」っていうのは愚かですね。「癡」っていうのも愚かという意味の「癡」ですけれども。そして、法然さんのお弟子になった親鸞さんもですね、自分のことを最後は愚禿と言うでしょ。愚かにっていう字を書きますね。
そうするとね、この浄土仏教を選択をした大先達達がね、皆自分のことを愚かだと言ってるというのは、これは重大な鍵だと思いますね。まあ変な言い方ですが、「阿呆が分かった賢い人達」だと私は思うんですね。関西弁でいう「阿呆」つまり愚か。自己の愚かさというものに気が付くのにこんなに賢い人達が努力をしたっていうか。それは何を意味してるかというと、愚かという人間のために阿弥陀仏の本願はあると。つまり「他力」の仏教というのは、自分が愚かな存在だというふうに認識した人にとって意味のある仏教だということだと思うんですね。
ですから、自分を愚かだと思うことができないと「他力」の仏教は遠いことになると思いますね。私共はやっぱり自分のものの考え方に執着してますよ。その自分のものの考え方を基準にしていろいろ判断をしている。そうするとお互いに自分の世界、自分は世界をこう見てるということでつきあうわけですから、衝突するのは当たり前になってくると思いますね、それが愚かということの根本的な意味ですから。
そうなると源信や法然上人や親鸞さんたちと私達とある意味では愚かさにおいては同じなんですね。私達は真理というものが何であるのかは中々分からない、何が本当であるかは分からない。問いを発することはできるけれども、その問いの答えを見出すことはできないという、そういう悲しい一面を持ってるわけでありますけれども、心の底ではやっぱりどこかで真理というものに近づきたいとか、本当でありたいというそういう気持ちがどこかでやっぱり流れているんですね。そういう願望に答える道として「念仏」というものが生まれてきているわけですね。
ですから、「他力」の仏教というのは今申し上げましたように阿弥陀仏の本願力を意味するわけですね。この他なる力、他、自分と違う別の力。これは阿弥陀仏の本願の力のことである。そうすると「他力」の仏教を選択するということのためには、今申したように自己の中の愚かさの自覚というものがどうしても必要になってくる。
ナ:浄土仏教の教えが息づく「歎異抄」。「他力」という言葉はその冒頭序文に早くも現れます。「他力の宗旨を乱ることなかれ」、そこには法然や親鸞が説く「他力」の教えをゆがめて解釈し、混乱させることがないようにと戒める唯円の願いが込められています。
唯円は更に第三条で「他力」とは対照的な立場にある人のことを「自力作善の人」と呼び、「他力」の意味を伝えようとしています。
『自らの努力によって善を積み行う人は阿弥陀仏の本願をたのむことがなく、したがって、阿弥陀仏の本願の対象になる人ではないからです』
阿:法然から親鸞が学んだ「他力」の教えというものを更に唯円が聞いて、しかし、唯円の仲間達がその「他力」の宗旨、教え「他力」の本来の意味というものを誤解するようになってくると。そのことについて唯円がいろいろ心を痛めて、以下「歎異抄」という形でその問題を書き上げていくということでありますから、「歎異抄」自体が「他力の宗旨を乱ることなかれ」というその一点でまとまられていると。だから積極的に言えば、この「歎異抄」を読めばですね、「他力」の教えというのはどういうことかということが分かるように書かれているはずだと思うんですね。
池:あの、第三条でも「他力」という言葉が出てきて、その場合には「自力作善」という言葉と対比して「他力」という言葉が出てきたと思いますけれども。非常にこう今日その「自力」ということ、自分の力で何かをしていくということが非常に言われているような社会であると思いますけれども。
阿:またその点が一番多くの人が躊躇するっていうか引っ掛かるというか。なぜ「自力作善」がだめなのか、自分で努力をするっていうことは否定されるのかということについて中々納得しがたいということが出てくると思うんですが。
「自力」、「他力」というのは仏教という土俵の中の言葉ですね。一般の世俗社会の中で、いつも他人に丸投げして生きていきましょう、なんてことを主張しているわけじゃないわけです。
ですから、「自力」、「他力」、ここの第三条で言えば、「自力作善」の人は戒律を守ると、あるいは、いろいろな仏教で悪と言われてることはしないと、ものの命を取らないとかうそをつかないとかいろいろあります。そういうことをいつも守り続けると、そういうことですね。戒律を守るということは大変なことですね。座禅1つにしてもですね、その自分の精神を集中させて自分の意識に波が立たないようにするというのはこれは大変なことですよ。ずっとそういう意味で意識の集中にエネルギーを注ぎ続けるっていうことができるかというと、それは中々できませんよ。
そういう自分の「自力」を尽くしてその「真理」に近づこうという、そういうことを試みていっぺん挫折しないと阿弥陀仏の本願というものが用意されてるということのこの意味が分からないと思うんですね。色んな行をして、どの行も自分は実践し、果せないというそういう悲しみがあって初めて阿弥陀仏の本願というものに目が向いていくわけですね。
ですから、私達がなぜ「他力」でないと駄目なのかというのは、ひとえに自分がどういう存在であるのか、つまり、行が実践できるかどうかということもさることながら、もうちょっと言うと、行が実践できない理由を尋ねていくというやり方で自分の本質を見ていくというそういうプロセスが必要になると思うんですね。そういう自分の中に自分でも分からない闇を抱えているというそういう不安定さというか、そういうふうにして自分の本質にだんだん気が付いてくると。そうすると阿弥陀仏の本願という「他力」がぐっとこう近くなるということがあるんじゃないでしょうか。
池:つまりその、言わずもがなかもしれませんけども、「他力」という言葉が他人任せ、他人に任せるとかっていうことでは全くないということですね。
阿:そうですね。仏教という宗教は、人間が未完成だっていうかあらゆる因縁果というか因と縁と果の流れの全体を見る智慧がないと。そういうその思いから阿弥陀仏の物語というのが生まれてきてですね、この世で最高の智慧を手にすることが難しかったら、死んでから後、死後の世界にそれを設けてみようではないかと。
で、浄土という言葉はですね、あるいは極楽浄土という言葉は世間ではどういうふうに言われているかというと、相当その快楽の場であるかのような印象が流れておりますけど、本来の仏教で極楽とか浄土というのは仏道修行の邪魔が一切ない場所、それが浄土あるいは極楽なんですね。この現世ではつまり肉体を持っている間では煩悩がいろいろ騒いでですね中々その実現が難しい。
だから、いっぺんその肉体を離れて、つまり死んだ後ですね、その理想的な仏になるための環境が整っているそういうところに行って、そこで仏になろうではないかというふうになってきてですね。浄土とか極楽というのは仏になるための最高の環境が整った場所とそういう意味なんですね。
鎌倉(以下「鎌」という):その先生がおっしゃっている「仏(ぶつ)」という言葉ですが、「仏(ほとけ)」という読み方もございますよね。
阿:それはね、仏教ではインドの言葉のブッダの音を中国語で感じに写すとあの仏になったわけですね。だからブッダというのは覚者、悟った人です。仏教の真理を体得した人、それが仏(ぶつ)なんですね。
ところが日本に入ってきますとね、「仏(ほとけ)」という訓が生まれてくるんです。で、なぜその死者を仏というようになったのかということの直接的な背景は中々難しいですが、1つは浄土仏教が広まっていく中で念仏をしていた死者が浄土に生まれて仏(ぶつ)になるんだと。だから死は仏になるということとイコールだというふうなことがだんだんと念仏をしない人にも当てはめるようになって死者を仏(ほとけ)という一般的な言い方が生まれてきたのかもしれませんね。
特にこれは親鸞が強調してきたことですけれども、仏になる、究極の悟りを手にするための道が「念仏」なんですね。だから念仏するたびに仏になりつつあるわけです。その仏はなんのために存在するかといったら人々を助けるためですね。人々に慈悲を行使するために仏になる。だからもっと言えば、浄土に行くのは自分の快楽のためではなくって、あらゆる存在を救うためというそれが目標ですね。その肉体を捨てるまででもですね、仏になるための道を歩んでいるということの意味があると。それが本願念仏の大事な点なんです。あくまでも生きてる間に役に立つんです。生きてる間に役に立たなくて、死んでからだったらこれはもうどうしようもないです、生きてる間の仏教なんですから。
ただ、その仏道の完成は肉体を離れた時であるけれども、そこへ至る道筋を歩んでいる、念仏の道は仏道そのものであって。
ですから、その煩悩を持ったままで、つまり煩悩を全部克服した上でというじゃなくて、煩悩を持ったままで、つまり今の自分のありのままで、しかし、究極的な安心に至る道がそれが念仏というものなんだと。
ところがどうでしょうかね、世間ではお念仏される場合はですよ、大体追善供養の場ではないですか。死者の追善供養のためにお念仏がなされている。なぜ、私共がいつの間にか死者のための追善供養に念仏をするというふうなことになってきているのかというと、これは私の言う自然宗教のなせるところですね。
自然宗教というのは、いつの間にか知らないうちに身に付いている宗教意識であります。その宗教意識というものはしばしば年中行事の形を取っていたりですね、あるいは、例えば先祖供養であるとかそういう形で伝わってきているんですね。
ナ:自然宗教とは、人々が地域や家庭において、いつの間にか自然と身に付けてきた宗教意識のこと。教えを説く教祖が存在し、人々がその教義が示す道を選び取って信仰する宗教、いわゆる「創唱宗教」とは異なる宗教心を指します。
日本では昔から先祖を敬う「祖霊信仰」が受け継がれてきました。「念仏」もまた、そうした自然宗教と結び付き、死者の鎮魂や慰霊のために広く行われてきました。
「歎異抄」には、阿弥陀仏の本願に基づく念仏とは異なる念仏が人々の間に広まっていたことを示す記述があります。第五条、そこに登場するのは念仏が亡くなった祖先の供養のためのものではないと語る親鸞の言葉です。
『私親鸞は、父母の追善供養のためと思って一度でも念仏を申したことはありません。そのわけは、一切の人々はすべて輪廻の世界を流転する間に、父となり母となり兄弟姉妹となってきたのであり、どなたであっても次に浄土に生まれて仏となったとき救うことができるからです』
阿:第五条はですね、「親鸞は父母の孝養のためとて」、つまり父母の追善供養のためにですね「一返にても念仏まうしたることいまださふらはず」と。こういう激しいある意味では激しい言葉で始まっていますね。
つまり、本願念仏は父母の孝養のために念仏しないんです。これをどういうふうに考えたらいいのかですね。我々は親しい人が亡くなったら親しい人についての思いを大事にすると。それは宗教を持っていようがいまいが人間である限り皆大体持つものですよ。
ですから、ちょっと宗教のような気がするけれども、私は人情だと、美しい人情だと言っていいと思いますね。その亡くなった方のことをいろいろ思って手をあわしたりされるのを別にそれは不思議なことじゃないです。
日本にはある時期からですね、人は死ぬとですね33年間、その子孫から供養をおまつりを受けてですね、33年経つと経つとようやくその死の穢れが拭われて「ご先祖」という清らかな、しかも個性を持ったその村全体の清らかな魂になると、先祖になると。こういうふうな考え方がありまして、そのご先祖は時には、地域の神様になったりですね、あるいはまた、孫子になって生まれ変わってくるとかいうふうにも言われていました。
ですから、こういう日本の自然宗教が生み出した、人間は死んだらご先祖になるんだというそういう道と、浄土仏教が教えた「人はその念仏によって死後仏になるんだ」というものが微妙に1つに交わりあってまじわり合って人々の中で受け止められてきていると。
ですから、死者のために念仏をするというのは、念仏は確かに仏教の言葉であるけれども、その死者にたむけて念仏をするということは、これは仏教ではなくて自然宗教のしからしむるところなんですね。そういうところから宗教というのはどうも死者の世話をすることだとかですねいうふうなことにどうもなりがちで、死者の世話をすることは宗教行為だと。生きているその自分を問うというそういう契機がどうも薄くなっているように思うんですね。
で、私は大事なことはですね、親鸞がその両親のためにいっぺんも念仏をしなかったっという理由がその後に書いてあるんですね。「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり」、これはあの大きな考え方だと思いますね。自分はそういう追善供養のためにいっぺんも念仏しないと、それは一見冷たそうに見えるけれども、実は「一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟」だという、そういうなんか大きな生命の流れの中で見ているわけですね。 私共は一回だけ人間として生まれてきてもう死ねば無になるという、そういうことではなくて、インド以来仏教徒達はですね、長い長い時間軸と空間軸の中でこの大きな姓名の流れがあって、そういう大きなつながりの輪の中では、全て生まれ、死に、生まれ、死にしてきている人はどこかで父や母の関係になっているのではないかと。
ということは、特定の、今の父母だけが、父母というのはちょっとやっぱり視野が狭すぎるのではないか。つまり、命あるものは長いスパンで見ると父母兄弟になると、その父母兄弟のためにどうこうということではなくて、その世々生々の父母兄弟が全部仏になるということが大事なことであって、肉親の追善供養を熱心にするというのは、やっぱりその人の身内の問題じゃないですか。そこからヒューマニズム全体にまで広がるようなこの可能性があるかですね。
ですから、父母のその孝養のために念仏をしないというのは、一見我々の常識を逆なでするような言い方だけれども、、逆に我々の常識が持ってる危うさということを教えていると思うんですね。
ですから本願念仏を選びますとね、1つはその死者の鎮魂慰霊のため死者の追善供養のために普通はお念仏というのは使われているんだなということは以前よりもはっきりするようになってくる、それが1つです。それから2つ目はですね、同じ念仏であっても、滅罪の念仏、滅罪を目指す念仏があるということにも気が付く。これは第十四条を見るとですね、「歎異抄」の第十四条を見ると、それは非常に面白い形で表現されています。
『念仏を一回称えるだけで未来に久しく受けなければならない苦しみの原因となる重罪を消滅させることができると信ずべきだ、という考え方があります。この考え方は滅罪の効能を信じて念仏するという立場です。念仏者たちも殺生をはじめとする十悪や父を殺すなど五悪と呼ばれる罪を犯した人は、日頃念仏をすることはなくとも臨終に際して初めて先達に出遭い、その教えにしたがって一回の念仏をするだけで「八十億劫」の罪を滅し、十回念仏すればその十倍の罪を滅して往生ができる、と言っています。これはとても私たちが信じる念仏には及びません。
念仏をするたびに罪が滅ぶであろうと信じること自体、すでに自分の力でわが罪を消して浄土に生まれようとつとめることではありませんか。阿弥陀仏の摂取不捨の誓願をたのむ身となれば、どのような不思議なことが生じて罪業を犯し、念仏を申さずに死んでしまうことになっても、たちまちに浄土へ生まれることができるのです』
阿:一声の念仏で極めて重い罪が滅ぶんだとこういう受け止め方ですね。こういう滅罪を目指す念仏というものにはいくつか問題がある。
1つはですね、罪を滅ぼす、滅する、ゼロにするということですね。これはですね、罪というのは自分と別個にあるということを前提にしているような考え方ですね。自分にたくさん罪がついていてその罪をこの滅ぼすことができると。ですから、その自分にくっついた罪を全部滅ぼしてゼロにしてしまうと、自分は本体清浄、清らかな存在だというふうなことが恐らく背景にあるんだと思いますね。
しかし、本願念仏ではですね、私から罪悪を取り除くなんてことは考えようがないというのが本願念仏の立場なんですね。私が煩悩であって、大事なことはその煩悩の私がそのままで摂取不捨されるというのが本願念仏の教えなわけですね。
それからもう1つ、滅罪の念仏の問題というのは、犯した罪をあがなうというんだけども、そういうこと本当にできるのかと。あたかもわが身の罪悪のすべてがもう分かっていてですね、それを一つ一つ消去できるという思い込みがどうもこういう滅罪の念仏にあるんではないか。私達は自分のこの罪悪の全てなんかを知る智慧なんかどこにもなくてですね、自分の心の奥底に深い闇を持っていると。それがその本願念仏の人間認識ですね。
お念仏をすることによって、自分が清らかな存在になるんだと思う人もいるかもしれない。しかし、自分は自分の力で自分の罪を滅ぼすなんてことはありえない、自分が罪そのものなんだから。
ですから、私はそういう念仏に滅罪の利益を認めるという考え方は要するに念仏を手段視してるわけですね。自分の利害を解決するための手段に念仏を使うと、これは本願念仏とは真向からやっぱり違ってくる。
池:やはり念仏は手段ではないっていうお話が非常に本質的なとこなのかなというふうに思いまして、私達無宗教的な宗教意識から見ると何か念仏を称えるであるとか神様にお祈りをする、仏様にお祈りをするというような、何かお祈りをしたらお返しがあるというか何か利益があるというふうに思って神仏に祈っていたなということを自覚させられまして。
阿:無私の祈りってよく言われるけれども、私を無くした祈りですね、そういう祈りは確かに美しいけれども、多くの場合私達はやっぱりギブアンドテイクでお祈りをしたら何かお返しがあるんじゃないかというそういう期待がある。
つまり、神仏にこれだけお願いをしたと、こういうお返しがあってしかるべきではないかと、こういうふうにどうもなりがち。しかし、それで安心感が得られるのかどうかということから見るとですね、生涯そういうことを繰り返していかざるをえない。
つまり、手段としての手段としての念仏は、その本人の自我の要求をクリアにはするかもしれないけれども、自分の業の報いへのその苦しい面と真正面から向かう力を与えるかどうかというとちょっとそこはよう分かりませんねそこは。
ですから、何か宗教を信ずると幸福になれるというのは嘘であって、不幸も見えてくるというのが宗教ですよ。幸福と不幸を対等に見ることができるようになるということは、宗教の一番大きな功徳ですね。そういうある意味では、現実の客観化と言っていいと思いますけれども、そういう現実の客観化が前よりは進むと、そこに余裕とか判断のゆとりというものが生じてきて、それがまあ「他力」を選択した結果生まれてくる安心と言っていいように思いますけれども。
ナ:阿弥陀仏の本願に基づく念仏を選んだ人々は、互いにどのような関係を結ぶのか、そのことを示しているのが「歎異抄」第六条です。
『専修念仏の同朋方が、自分の弟子だ、人の弟子だと言い争っているようですが思いもよらない事態であります。親鸞には弟子というべき人は1人もおりません。
そのわけは、自分の力によって人に念仏させることができるとしたらその人を弟子と呼ぶこともできるでしょう。しかし、専修念仏においては、人はもっぱら阿弥陀仏の御うながしをこうむることによって念仏するのでありますから、その人をわが弟子ということはまことに尊大な言い分と言わねばなりません』
阿:「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」と、「私には弟子という人は一人もいらっしゃいません」とこういうふうにはっきり言ってるわけですね。これはですね、「他力」の選択で一番はっきりする、その何ていうのか宗教的指導者の在り方の問題ですね。
なぜ親鸞がですね、「弟子一人ももたない」とこういうふうに言ったのか、親鸞のこの手紙の中に残っている門弟と考えられる人は39人ほどいらっしゃって、その39人のそれぞれに100人近いまた信者がいて、だから親鸞には間接的には4,000人か5,000人かの信者がいらしたんでしょう。その門弟達に対して、自分は自分にとっては弟子は一人もいないとこういうふうにはっきり言ったと。
その理由として、親鸞が「歎異抄」の中で挙げているのは、その信心というのは如来よりたまわるものであると。だから、その信心は私があなたに与えたんではなくて、如来からあなたが賜られたものだと。私も如来から賜ったし、あなたも如来から賜れたんだと。これは「歎異抄」の結びの中で、親鸞が若い時のことを思い出して話した例として出ていますね。法然上人のもとにあった時に親鸞が、「私の信心と法然上人の信心は同じです」とこう言ったら他の高弟達がひどく反対をしたと。その時に、法然上人が「自分の信心も親鸞の信心も同じだ」と、理由は「いずれも信心は如来よりたまわったものだ」というふうに法然上人お答えになっている。
私は「信心は如来よりたまわる」というのは、とても美しいよく分かるように一見思います。しかしどうですか、どうしてたまわるんですか?お一人お一人如来からたまわる、どうするんですか?空中に向かってると口の中に入ってくるんですか?そうじゃなくて信心は如来より念仏によってたまわるんですよ。念仏によるというのは一番大事な行為ですね。念仏によって如来の心が我々に伝わってくる、つまり称名。称名によって、つまり称名をするということあ阿弥陀仏が私の中ではたらくことですね。私の中ではたらくということは私の中に阿弥陀のまことの心は伝わるということです。
だから、私の中にまことの心、信心というものは存在するようになるんです。でそうなると、「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」というのは、当たり前のことになりますね。
しかし、多くの宗教集団ではですね、その宗教の指導者という者が絶対的な力を持っていて、その指導者から何らかの形でこの教えというものを伝えられることでその人が信心を持つようになると、そういう考え方になりがちだと思うんですね。
だから大事なことは、名号は阿弥陀仏がつくって我々に与えたものだというこの一点をはっきりさせることですね。これが揺らぐと「わが弟子、人の弟子」というこういう争論が起こってくる。しかもやっかいなことに、この「歎異抄」でこの第六条が記されるようになった背景には、いわゆる「善鸞事件」というものがどうも関係しているように思うんですね。
ナ:善鸞とは親鸞の息子のこと、彼は自らを「慈信坊善鸞」と名乗りました。関東での布教を終えた親鸞は60代で京都に戻りますが、残された門弟達の間で教えを巡って様々な誤解が生じました。その誤解を正すため親鸞が関東に派遣したのが自分の息子である善鸞でした。
ところが善鸞は「自分は親鸞の息子だから他の門弟達が教えられなかったことを夜中にただ一人おしえてもらった」などと吹聴して回るようになります。親鸞は「念仏者を惑わし嘘をつくとは悲しいこと」と歎く書状をしたため親子の縁を切る「義絶」を言い渡しました。
阿:ある時期、この慈信がですね、北関東の門弟達のところへ姿を現すんですね。そして何を言い出したかというと、自分は親鸞の子だということをもちろん言いますよ。で、京都でですね親鸞から夜中にひそかに特別の教えを自分は授かっているんだと、こういうことを言いだす。
それから、その北関東の親鸞の門弟達の集団というか集まりを率いている有力な人達を鎌倉幕府に何らかの好日をつけて訴えてですね、その指導者の地位から引きずり下ろそうというようなこともやっていると。そういうことは全部親鸞の方に伝わってくるんですね。
そこで親鸞は、このもう親子の縁を切ると、慈信は自分の子供ではありませんと、それを門弟達にも同じく手紙で知らせてですね、いわゆる善鸞と絶縁をするということが起こった。これは親鸞84歳の頃だと言われて言われておりますけど。
で、こういうことがあってですね、ますます関東の念仏者達の間で誰がリーダーになるか、あの人は誰の弟子であるのか、といったようなことが一段と問題になっていたということが恐らくこの背景に考えらえれるんだと思いますね。
ですから「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」というのは、これは本願念仏に対するあつい確信がないと中々言えないことですし、また弟子に見える人もですね、「いや、親鸞聖人は自分にとっては大事な人だけどあの方は先生ではありません」と言い切れるかどうかですね。
しかし、面白いことにですね、「歎異抄」全体でそういう親鸞は「弟子一人ももたずさふらふ」と言いながら、「よき人」は大事だと、こう言ってるんですよ。で、親鸞自身もですね自分にとっては法然上人が「よき人」であると、法然上人のおかげで自分は本願念仏を手にできたんだと。「よき人」は大事だということを繰り返し繰り返し言うんですね。
で、それと「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」とどうなってるんだと。私はそんな難しいことじゃないと思うんですね。「よき人」」というのはですね、求める人が「よき人」であるかどうかを決めるんですよ。求める立場から決めていく、初めから「よき人」は決まってるんじゃないんですよ。自分の求める気持ちにぴたっと応じた教えを説明してくれた人がその人にとっては「よき人」なんですね。だから、「よき人」は求める人で違うと思います。
ところが、多くの宗教集団における指導者は、最初から「よき人」としてもう君臨してるわけですね。そういう宗教集団の指導者の在り方を難しい言葉で「カリスマ」というような言葉で言いますけれども、本願念仏においては「カリスマ」は成立しないんです。「よき人」は存在する。しかし、それは求める人が決めることであって、「よき人」は最初から君臨するわけではないんですね。
特にね、この「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」という言葉の重さが感じられるのは、やはり日本ではですね、霊力があると信じられた人に対する信頼が絶大なんですね。ですから、神に等しい霊力を持つ指導者とその人にその人の教えにつき従う、まあいわば羊のごときおとなしき信者の群れ、この二極分化が非常に激しいんですね。
鎌:あの今先生がおっしゃいました中に「よき人」という表現がございました。親鸞聖人が、私が選んで法然さんが「よき人」、この人の言うことを私は聞いて今こうなってるんですよ、っていうふうに言ってましたが、そういう関係であっても問答というのは非常に重要であることでしょうか。
阿:大事な問答というのは、やっぱり徹底的になされるんですよね。この親鸞という人は法然上人のもとを訪ねるまでに100日かかってます。法然上人のもとへ訪ねてやっぱり100日かかってるんです。それで初めて門弟になるんですね。
ですから、法然上人に対しては、恐らくもうありとあらゆることを聞いたんだと思いますね、そこには何の遠慮もなく。そうでなかったら心底の納得というのは起こらないと思います。
だから、その法然上人の人格に対するこの敬意の念ということと親鸞が知りたいと思う気持ちとはそれは両立すると思いますね。やっぱり親鸞は自分の持っている問題を全部ぶつける、その過程の中で自分に目覚めてきてその中で初めて本願念仏の意味が了解できるようになったということだと思いますね。
問答で大事なのは、問う人間なんですよね。問う人間がどんな答えをもらうにせよですね、本人が徐々に徐々に気付いていくということだと思いますね。何か答えを待ってるという姿勢では宗教的な疑義というのは解決しませんよ。それはなんか霊力ある人の言うことを聞いてそれで満足するというそちらの方へ行ってしまいますね。大事なことはやっぱり自分の疑問が解けるまでは徹底してやっぱり聞くということでしょう。聞く過程で自分が目覚めていくわけですね。だから仏教では、広く仏教では、やっぱり「聞く」ということはとても大事にされる。「聞く」というのは自分が目覚めていくことなんですよね。
鎌:今、先生のお話聞いてまして思いましたのは、やはりその、阿弥陀仏の本願っていいますか、阿弥陀仏っていうものの本願の前では、罪の軽重であったりですね、あるいはその賢かったり愚かであったりっていうそういう差ではなくて全部その前では平等だって認識っていうのが非常に強くはたらいているというふうに考えてよろしいでしょうか。
阿:その通りだと思います。ですから、人間の平等というのはむしろ人権の段階で言うこともできますけれども、やはり宗教的原理に根ざすということは一番大事なことだと思いますね。やっぱりお互いがこの同朋であって、お互い平等で、平等であるということはお互いに大事な問題をお互いが議論して解決していかなくてはならんということですね。誰かに解決して、解決を期待するということはありえなくて、やっぱり自分のない智慧を絞ってでも一緒に仲間と共に問題を解決していくと、そういう姿勢が大事なんだけど、実はそれが日本の社会で一番欠けてるんですよ。
池:今回やっぱりあの、私もその、無宗教的な宗教意識の中で生きてきて、その自然宗教が地域共同体を維持するためのある種の装置で、それは日本人はある種非常に大切にしてきたと思うんですけれども、そういうこう自然宗教だったり地域共同体が非常にもう、ここ何十年かに渡って崩れ続けていっているという、そういう現実は先生どんなふうにお感じになってるかと。
阿:私は自然宗教の中でももう、自然宗教の全体のその構図が崩れてきた現代ですね、その自然宗教のまあ遺産である言葉だけを使って自分の死生観を組み立てるということはやはりもう力がやっぱりなくなっていくんじゃないかという気がしますね。
要するに、地域共同体というものが存続しうる条件があって自然宗教が成立すると。1つの共同体の中で人々がお互いに思いやりを持って助け合いながら生きていこうというそういう1つの仕組みの1つの部品として「先祖」という観念があったんだと思いますね。
今多くの場合、自分の死後、自分の肉親が自分の追善供養をしてくれる人がどれだけいますか。多くの人々はそれぞれバラバラの人生を歩んでいるじゃありませんか。それでましてや自分の子孫がですね、自分を供養してくれるというふうな保証はどこにもないですね。ましてや子供のいない人達はどうしたらいいんですかと。しかも住む場所もこれだけ人の移動の激しい場所はもうなくて故郷はそれこそ遠くにありて思うしかないわけでしょう。外国からも日本に来ている、日本からも外国に行くと。そういう激しい移動の時代にですね、そのある一定の地域の安定を前提にした自然宗教というのは、もう成立しないですよ。
だから自然宗教ではもう安心は得られない時代だと言ってもいいと思う。だからこそ、というと妙ですが、創唱宗教の検討ということは必要になってくる。しかし、創唱宗教自体も大きな変化を受けてきている。ですから僕達がそれぞれ自分の本当の心のよりどころを探そうとするには、本当簡単なことじゃありませんよ。大変な苦しみの時代だと思いますね。
今の日本社会、世界中から言ったら、この近代化と呼ばれてもう久しくなったそういう社会が次の社会に生まれ変わっていくためにどれだけの時間がかかるかですね。その時の心の支えが何であるのか、少なくとも私は紀元前後ぐらいに生まれた大乗仏教というのはそういう時代を見越してつくられているから大乗仏教の最も核となる部分を手にしながら次の時代をつくって、次の新しい宗教思想を生み出していくと、そういうなんか長いスパンで考えていかないと。
だからまあ私で言えば、13世紀の法然、親鸞の仏教の最も中核的な部分を握ったうえで次の世代を期待すると。その創唱宗教の本質的な部分を握ってですね、新しい社会をつくっていく、種まきの仕事をしていくと言うしかないんじゃないか、というふうに思いますね。